ジャック=ジャックの多才ぶりにはリアル感もあります。赤ちゃんの成長には世のほとんどの親たちが毎日のように驚かされているからです。
ジャック=ジャックのめくるめくスーパーパワーはそんな赤ちゃんの無限の力を象徴しているようです。
一方の父親ボブはそれに振り回されっぱなしですが、その成長を心から喜んでもいます。
このスーパーベイビーには、世の父親に子育ての面白さを伝える役割もあるでしょう。
そう考えれば、この無邪気なジャック=ジャックからも前回からの10年以上の歳月が感じられます。
戦うヒーローから主夫になったMr.インクレディブル
前作から14年の歳月を経てMr.インクレディブルことボブは大きな変化を迫られました。彼の役割について考えます。
母は世界を、父は家庭を守る?!
イラスティガールがヒーローとして活動するためにボブは家事と育児で支えることになります。
男性が育児休暇をとったり、イクメンや主夫などが一般的になってきた近年はこの夫婦の関係に共感できる人もいるでしょう。
この辺りに明らかな14年の時代の変化が反映されています。
育児なんか簡単だと思っている男性に女性の大変さを分かりやすく描いている点もポイントです。
家庭に収まったボブはヒーロー時代よりも疲弊してゆきます。
娘の恋路や息子の算数や赤ちゃんのイタズラに日々振り回され、不眠ノイローゼになるのです。
ヒーローでも一人で抱え込まないことの大切さ
私たちの世界でも「ワンオペ育児」のように家事や育児の負担を1人で抱え込んでしまうことがありますがヒーローも同じです。
ボブが家事と育児で心身共に疲弊した様子をみかねたヴァイオレットは仲間のフロゾンに助けを求めます。
また衣装デザイナーのエドナも救世主になります。
預かったジャック=ジャックの特徴を分析し、その混沌としたスーパーパワーの管理術をボブに伝授しました。
Mr.インクレディブルでも助けがなければ家事や育児でさえままならないのです。このメッセージは世界中の多くの人の胸に届くものでしょう。
イヴリンが示すヒーロー映画・最強時代への違和感
今作のヴィラン・悪役であるイヴリンはこれまでのヒーロー映画のそれとは根本的に違っています。
スーパーパワーで人を救うヒーローや助けてもらう側の市民に対してまで徹底して否定的な見方をしているからです。
ヒーローに対する個人的な恨みも動機として描かれています。
しかしイヴリンはヒーローを叩きのめすのではなく、彼らの社会的な信頼を落とすことを目標としました。
これは世のヒーロー像に対する根本的な問いかけにもつながります。
特にこの10年はアベンジャーズやバットマンシリーズなどアメコミ映画がハリウッド全体を席巻するようになりました。
ブラッド・バード監督はその大きな流れに対して違和感を持っているのかもしれません。その思いがイヴリンに投影された可能性もあるでしょう。
ヒーロー映画なのにヒーローの存在自体に疑いを投げかけている点で、この映画は極めてユニークかつ挑発的な作品だといえます。