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映画「ブラック校則」は2019年公開の令和版「野ブタをプロデュース」ともいわれる作品です。
脚本には漫画家・此元和津也がつき、題名通り理不尽過ぎる学校の校則を扱っています。
また日本テレビの「シンドラ」枠、Huluのオリジナルストーリーなどメディアミックスの多彩さでも有名です。
主演にはジャニーズの佐藤勝利と髙橋海人を据えているのも「野ブタ」と似せているのではないしょうか。
本稿では希央が創楽の喜ぶ姿に涙した真意を徹底的に掘り下げていきます。
また、理不尽の塊である手代木の頭が固い理由、理不尽過ぎる濡れ衣の理由などにも見ていきましょう。
タイトルの二面性
本作を考察していく上で面白いのはタイトルの「ブラック」に二面性があるということです。
一つがブラック企業などに使われる「理不尽に厳しい」という意味、そしてもう一つが「黒髪」の意味。
本作では地毛が栗色の町田希央が黒髪に染めろと強要された挙句、留年・退学処分にされてしまいます。
そうした画面全体にただよう重苦しさ、どす黒さを「ブラック」という単語一つに集約しているのです。
そのブラック校則からの解放へ向かうのが本作全体の構造になっています。
希央の涙
本作のラストシーンでは女子生徒・希央が創楽の喜ぶ姿に涙するという最大の見所が待っています。
彼女は創楽の深くまでを知っているわけではなく、彼の思いもラストで漸く知りました。
そんな彼女がどうして涙を流したのでしょうか?
抑圧からの解放
まず一番に挙がるのはこれまで希央を縛っていた抑圧からの解放から来るカタルシスです。
彼女は地毛の色を校則で縛られ、更に下着は白以外着用不可と凄まじく厳しい規制がありました。
希央からすれば学校での酷い仕打ちは存在意義すら否定されているように感じられたのです。
創楽が全校を巻き込んでまで果たしてくれたことは彼女に再び存在意義を与えてくれるものでした。
だからこそ、それまで自分を覆っていたメンタルブロックが取れて、彼女は解放されたのです。
希央の潜在意識はそれ程まで頑なに閉ざされていたことをこの涙は裏付けています。
自分を思ってくれる他者の存在
二つ目に恋愛や友情を超えて行動する創楽と中弥の人間性に対する感動があったのではないでしょうか。
創楽が希央のために動き始めたのもきっかけは片思いなのでやや不純な動機かもしれません。
しかし、始まりが何であれ彼は決して最後まで投げ出すことなく中弥と共に実行し続けました。
見ず知らずの他者が自分の為に動いてくれた経験というのは希央にとって青天の霹靂でしょう。
それだけ彼の成した功績は非常に大きく素晴らしかった。その勇敢さに感動したのです。
創楽=無意識の希央
創楽は見た目こそ悪くないものの、元々はこのような勇敢さに満ち溢れた子ではありませんでした。
何かと空回りし、ラストのスピーチでも的外れなことをいってしまいその滑稽さを笑われています。
しかし、そんな空回りする創楽の姿は希央からすれば自身の無意識を体現していたのかもしれません。
人間、自分の嫌な面というのは大体他者の嫌な面が目の前で表面化した時に自覚するといわれています。
創楽も希央も自己主張をするタイプではないので、尚更彼の滑稽さが愛しく映ったのではないでしょうか。
それを惜しげもなく晒し、傷つくことを恐れず前を向いて生きられる創楽の強さを初めて希央は知りました。
希央と創楽は潜在意識のレベルで似た者同士かもしれません。
一緒に卒業したい
そして何より、一番希央の心に刺さったのは創楽の「一緒に卒業したい」という台詞です。