学校は警察ではありませんから証拠探しなどしなくても罪のでっち上げは可能となります。
これが学校という狭い世界の恐ろしい所で、そこで権力のある立場の者には逆らえないのです。
だから十分な証拠など何もないのに、こうして冤罪にすることに何の疑問も罪悪感もありません。
公務員ですから表沙汰にさえならなければ解雇になることなどまず出来ないのです。
手代木の濡れ衣は学校側が勝手に決めればそれだけで既成事実となってしまいます。
異物は排除すべし
権力の横暴がブラック校則と一体化すると、今度は「異物は排除すべし」という考えになります。
異様な程に厳しい校則を決めた学校からすれば、素直にいうことを聞かない生徒は不要です。
しかし、素直さとは先生のいうことに黙って従う従順さだけのことを指すのでしょうか?
そうした疑問さえ手代木達の中では封殺され従順さと素直さを履き違えてしまうのです。
だから素直に従わない男子の創楽と中弥、そして女子の希央は異物でしかありません。
そうした異物を排除するのに都合の良い口実が必要だったのでしょう。
でなければ口から出任せも良いところの冤罪を学校全体の決定事項にするわけないのですから。
世間体が気になる
そういう濡れ衣を着せる最大の理由は結局世間体という自分勝手な都合でしかありません。
先生達が一番気にしているのは学校側の風紀の乱れから生じてしまう不祥事にありました。
それが世間にバレたりすると格好が悪いからとついつい臭い物に蓋をしてしまうのです。
上記してきた異物の排除や権力の横暴も全ては世間体が気になって仕方が無いからでしょう。
しかし、そのように外の目ばかりを気にして規律で縛って本当にいい生徒が育ちはしません。
だから創楽達生徒側から思わぬ反逆を食らうことになってしまったのです。
校則とは何か?
本作のブラック校則はとてつもない理不尽の塊ですが、逆説的にこれが「校則とは何か?」の説明になります。
本来校則とは生徒達が円満に不自由なく学生生活を送れるようにするために存在するものです。
黒髪や制服の着こなしなどにうるさいのもそうした外見の乱れが内面の乱れに繋がるからとなります。
しかし、それが極端に行き過ぎて全てを禁止し生徒達の自由を奪い苦しめる刃となるのは本末転倒でしょう。
校則に限らず、世の法律・規則と呼ばれるものはその為にこそ存在しているのですから。
また逆にいえば自由の尊重と規律を守ることは必ずしも両立しないと本作は教えてくれました。
自由を勝ち取った先にあるもの
本作はブラック校則を題材に生徒達が反乱を起こし自由を獲得する物語として描かれました。
創楽達の前向きさ、ひたむきさの結果女子生徒の人生を救ったのですから凄まじい大活躍でしょう。
しかし、問題はその生徒達が勝ち取った自由の先にあるものが何なのか?ということです。
革命とは既存のルールを否定する行為ですから起こす前よりも起こした後の方が大変です。
生徒達が自由を勝ち取ったはいいものの、既存のルールを超えられるものでないと意味がありません。
この勝利が真のカタルシスとなるか否かは創楽達の今後にかかっているといえるでしょう。
本作の勝ち取った自由はよりよいものであってほしいと願わずにはいられない名作です。