さて、そうした交流を深め合ってしまうテロリストたちと人質たちに対して冷徹なのが政府軍です。
彼らは「テロリストとの交渉は行わない」と突き放した態度を取ります。
そんな彼らの演出意図の真意はどこにあるのでしょうか?
国家権力に基づく正義の怖さ
政府軍の怖さは国家権力に基づく正義の怖さ・冷徹さにその本質があるといえるでしょう。
最初から交渉の余地なしと交流を持ち話し合うという姿勢が全くありません。
決して間違いではありません。政府の場合、寧ろそれ位非情な判断が出来ないといけませんから。
しかし、そんな彼らの正義が無慈悲にも奪うべきでない人の命まで奪う怖さも込められています。
もし政府軍がこの交流の話を聞いていたらテロリストたちも生き延びて更生していたかもしれません。
国家権力の正義とはそれほどに思考の余地を奪ってしまう危険なものなのです。
テロリストと特殊部隊は紙一重
よく天才とバカは紙一重といいますが、テロリストと特殊部隊は紙一重で本質は同じではないでしょうか。
どちらも武器を手に取って無実の人々を制圧して自分たちに従わせようとする部分は変わりません。
上記したように政府もテロリストも本質は同じで実は鏡面という対比がここでなされています。
環境や立場によって人の正しい間違いは簡単に変わってしまうという皮肉が政府にもいえます。
そうした揶揄・皮肉を含んだ国家権力への鋭い批判がメッセージとしてあるのではないでしょうか。
歌は国境や立場を超えるか?
さて、本作にはまるでコスの歌声が国境や立場を超えて友情や愛情を育んだかのように聞こえます。
しかし、ここまで考察を見て頂けた方にはそれが本質ではないことは火を見るよりも明らかです。
コスの歌声はあくまでもきっかけにすぎず、理解し合ったのは距離感の近い話し合いの結果でした。
確かに歌は国境や立場を超えて人の精神を癒したり励ましたりできる表現の一種であります。
でもそれで戦争やテロが解決できるなら既に世の中から争いは消えているでしょう。
大事なのは一人一人がどう想像力をもって人と向き合うのか?ここに集約されるのです。
相互理解の尊さと難しさ
こうしてみると、社会的な立場や正義といったものがいかに相互理解の壁になっているかが分かります。
矛盾しているのは表面上相互理解の尊さを訴えながら異質のものは排除しようとする心理の怖さです。
人間とはどこまで行こうと根っこにあるのは自分の安全しかない生き物であります。
でもだからこそこうして至近距離で差別や偏見なしに人と向き合うことは真に尊いのです。
大事なのは正しい間違いではなくどちらの方がより可能性があるのか?ではないでしょうか。
テロリストたちに耳を傾け、相互理解に耳を傾けようとしたコス達の姿勢を忘れてはいけません。
そのようなことを深く考えさせる作品でした。