出典元:https://project-itoh.com/shisha/index.html
伊藤計劃と円城塔によって生み出されたSF小説「屍者の帝国」を、監督・牧原亮太郎がアニメーション化したのが本作です。
制作はWIT STUDIOが務め、19世紀の世界を美しすぎるといえるほどの映像へと仕上げました。
しかし、映像のクオリティに関しては高い評価があるものの、そのストーリーは非常に難解…。
「原作ファンじゃなきゃわからないのでは…?」「SF好きでないと読み取れなそう…」といった声も少なくありません。
ですが、それではもったいなさすぎます。
そこで今回は屍者の帝国について日本の大里化学でフライデーが豹変してしまったのか。
また、ヴィクターの手記とは何だったのか、さらに最後の語り手は誰なのかなどを考察します。
本作は円城塔から伊藤計劃へのメッセージ?
まず、本作が生み出された背景について簡単に説明します。
本作はもともとSF作家・伊藤計劃が執筆していましたが、伊藤は執筆途中の2009年に肺がんで亡くなっています。
そして、その作品のあとを引き継いで完成させたのが、小説家の円城塔です。
この時点で少しわかるかと思いますが、本作には円城の伊藤に対する思いがたくさん詰められています。
わかりやすいところでいえば主人公らの設定で、実はワトソン=円城、フライデー=伊藤であるといわれています。
つまり、ワトソンがフライデーの言葉の続きを知りたいというのは、「円城が伊藤の作品の続きを知りたい」といっている風に読み取ることができます。
なぜ手記解析でフライデーは豹変したのか?
ストーリーの途中、日本の大里化学で行った手記解析で、フライデーはゾンビのような暴力性をもった姿へと変わってしまいます。
この理由にはいくつかの仮説が考えられます。
仮説1:フライデーの魂が戻ってきた
一番有力なのは、手記解析によってフライデーの魂が戻ってきたという可能性です。
しかし、フライデーにはすでに記録係としてのプログラムがインストールされていた可能性があります。
もしくは大里化学の手記解析技術が不完全であったために、フライデーの魂が完全には戻らなかったと考えられます。
結果として、自分自身の中で葛藤があり暴れていたのです。
つまり、これは生者の魂が宿っているということなのですが、実際、ハダリーの屍者を操る音波をもってしてもどうにもできないと説明しています。
ですので、このフライデーの魂が返ってきたという可能性は高いといえます。
仮説2:新しい魂がフライデーに宿った
ヴィクターの手記には魂を宿す力があるという設定に基づく仮説です。
つまり、新しく宿した魂の暴力性が高くて、それにより周りを攻撃してしまっていたというものです。
この仮説を正しいとする場合、少し問題があります。
それは、ワトソンとフライデーが約束した「ペンを立たせる」という彼らの理論の証明が難しくなることです。
しかし、この理論の証明には成功しているため、少なくとも完全に新しい魂が宿ったとはいえないでしょう。
仮説3:新たなプログラムがインストールされた
ロシアが開発したような、暴力性の高い屍者技術であったという説です。