三本足のカラスは、日本の古代神話に出てくる「八咫烏」です。その行いは、まさに映画内の三本足カラスと同じものでした。
八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話に登場するカラス(烏)であり神。
神武東征の際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/八咫烏
古代神話に出てくる八咫烏は、神の導き役としての役割を果たしていたのです。
本作においてナオミや直実を導くことからも、原作の段階で八咫烏に似せたことは間違いありません。
このことから三本足カラスが映画内で主人公を導く役を担っており、「導きたい」と思う主体は2047年の瑠璃なのでした。
ナオミの目的
ナオミそのものがアルタラのデータであることは別として、ナオミが2027年にやって来たことについて整理しましょう。
ナオミの目的を整理することで、映画ラストで物語が「ひっくり返った」ときに、それをそのまま瑠璃に当てはめて考えやすくなります。
あれこれ変わるナオミの目的
直実がナオミに聞く「2027年に来た目的」は、このように語られてきました。
- 直実と瑠璃を付き合わせるため
- 幸せになった瑠璃の記録がほしい(ナオミ自身のため)
- 自身のものでなくていから、笑顔と思い出がほしかった(瑠璃のため)
- 2037年の脳死状態の瑠璃の器に、2027年の瑠璃の中身(精神)を同調させるため(最終)
あれこれ変わるナオミの発言に、おそらく何人もの人が惑わされているはずです。
結局は、最後の同調がナオミの目的であるかのように語られますが、ストーリー展開からも全てが本当のナオミの目的とも取れます。
彼女にして瑠璃の直実に対する想いを強くしないといけないし、行動はナオミ自身のエゴでもあり、瑠璃のためでもありました。
つまり、ダマしている直実に対する罪悪感は抱えつつも、全てはナオミの目的の範疇なのです。
ナオミの目的はほとんど達成?
結局2037年で脳死から復活した瑠璃は、ナオミが「瑠璃が知っている直実」でないことに気付きました。
しかもアルタラの自動修復システムが働き、ナオミは瑠璃を2027年に戻し、自分の命を失くしてしまいます。
これだとナオミの目的は達成できていないように思えますが、上記した目的の4つのうち、4つとも達成しているのです。
しかしすぐに瑠璃を失ってしまったことが、ナオミにとっては心残りでしょう。
この心残りこそ瑠璃に対する想いであり、それが強化されたからこそ、2047年で瑠璃への想いを抱いたままナオミは復活するのです。
「ラスト1秒でひっくり返る」ナオミの目的
これまではナオミの目的を、2047年世界をなしとして考えてきました。
しかしここで、2047年の世界を含めて考えてしまうと、すべての考察が「ひっくり返されて」しまいます。
ナオミは操られているとも考えられる
映画のラストは、これまでの物語が瑠璃の目的下での物語だったことに内容が一新されます。
こう考えると、ナオミには目的があったようでありながら、それは瑠璃に操られていたという解釈が成り立つのです。
つまりナオミには目的があるようで、ないということ。
ナオミは瑠璃への想いを強くするコマでしかないのです(映画の内容が素敵なため、このような表現が適切かは分かりませんが)。
すべては作り話(フィクション)だった
ラストにすべてがひっくり返されたことにより、ナオミが殺されるまでに見てきたものが、すべてフィクションになりました。
それはつまり、ナオミの目的もフィクションであったということを示します。
ナオミの目的は、2047年の瑠璃が目的を達成するための、一手段でしかなかったのです。
こうして考えると、ラスト1秒の衝撃は計り知れないものであり、本作の面白さとも考えられます。