このように、3人共心のトラウマ故に傷つき孤独を味わい、それを乗り越えて本来の自分に戻っていくのです。
蓋をしていた自分自身の潜在意識を解放した時3人は初めてよき仲間となれました。
過去の自分との訣別
そしてまた、最初の方では後ろを向いていたチャーリーがサムとのキスを最後に前を向きました。
潜在意識を解放し本来の自分に戻ったとき、彼らはもう後ろを振り向かない強さを手にしたのです。
チャーリーは最後の試練であったヘレン叔母さんからの性的虐待というトラウマもしっかり乗り越えました。
そして自殺したマイケルへの手紙も書かなくなったことで過去の自分との訣別を果たしたのです。
大切なのは”今”どうしたいか
最後の最後、サムは大きく立ち上がって万歳し、以下のように語ります。
高校生活もいつか思い出に変わり、写真も色あせる。いつか親にもなるだろう。
でも今だけは思い出じゃない現在進行形だ。今、僕はここにいて彼女を見ている。美しい彼女を。引用:ウォールフラワー/配給会社:ギャガ
そう、サムは遂に“今”どうしたいのか、そこだけを考えて生きるように意識が変わりました。
青春時代に限らず、人間という生き物は子供も大人も常に今現在しか生きられません。
過去はあくまで”今”の積み重ねでしかなく、未来もまた”今”を生きた先でしかないのです。
サム達はまさに”今”をどうしたいかというあるべき視点で生きられるようになりました。
だからこそ彼はこの瞬間に「壁の花」ではなくなり「日の当たる花」として輝いたのです。
自分を救うのは自分しか居ない
本作はまるで3人の友情物語として描かれているようですが、実際の問題は全て自分で解決しています。
チャーリーはサムとパトリックの助力もありながら、しかし自分の心は自分で乗り越えているのです。
特にそれが出たのがサムとの比較で、チャーリーもサムも優しすぎていい女、いい男が寄ってきません。
しかし自分が見合うと思い引き寄せてしまっているのだとアンダーソン先生は指摘しています。
つまり、自身の潜在意識と向き合い、心を自分で救わない限り物事は決して好転しないのです。
チャーリー、サム、パトリックという3人のはみ出し者は自分の心と向き合って自分を救いました。
安易に他人に救われるような描写を入れないことで自分自身を救うことの大変さと尊さを描いています。
自分と向き合う者こそが他者と向き合える
本作で描かれている最終的なテーマは「自分と向き合う者こそが他者と向き合える」ということです。
はみ出し者扱いされる3人はお互いによき理解者でありながらも傷を舐め合ったりしません。
青春というとどうしても「友情」が先立ちますが、でもその人の内面までは解決出来ないのです。
これはつまり自分と向き合った先にしか他者と向き合うことは出来ないということを意味します。
上辺だけで同情する人間は世の中幾らでも溢れていますが、その人達は本当の理解者ではありません。
本当に自分の為に寄り添い、その人が自分の足で立って歩けるようにしてくれる人こそ真の理解者です。
チャーリーにとってのサムとパトリックは正にそういう人たちでした。
そうした深い人間の心理の本質まで描き切ったからこそ、心に残る名作となったのではないでしょうか。
万人受けはしませんが、自分との向き合い方、そして他者との向き合い方を考えさせてくれる一作です。