無視してでも自分がやり遂げることに執着するのは『負ける自分』が許せないのでしょう。
自分を律しながら人の期待を敏感に察知し遂行することだけが『好青年』の条件だと思っています。
東垣内の気持ちを動かしたのは何か
彼が初めて周りの期待を裏切ってまで衝動を抑えられなかったのが沓子との関係です。
沓子の持つ神秘性と豊満な肉体美、そして何より奔放な生き方に豊は翻弄されてしまいます。
しかし子供のころから自分の欲求を曝け出すことが無かった豊にとって沓子は理解の範疇を超えていました。
豊にとって沓子はどこか現実味を帯びていなかったのでしょう。
非現実的な体験に罪悪感はありません。
もう少しで現実社会に戻るのだという逃げの気持ちを持っているから沓子に溺れていけたのです。
旅立つ夫に詩集を渡した光子の心境とは
25年の時を経てまるで沓子のことなど知らないように過ごしてきた光子ですが、決して忘れていたわけではありません。
光子にとっての沓子はどんな存在だったのかも考察していきます。
光子はなぜ詩集を渡したのか
光子が豊に詩集を渡したのは自分が25年も持ち続けていた気持ちを知らせるためです。
彼女の父親は公然と愛人を囲っていました。
それを母親も光子も認めています。
そんなことより今の暮らしを維持することが自分の使命だと考えているのでしょう。
それが母から娘に家紋入りの着物と共に受け継がれていく覚悟です。
それが『女の幸せ』と考える光子は『好青年』に拘る豊と同じ人種かもしれません。
その『女の幸せ』と引き換えに『常にサヨナラを用意して生きる』のです。
その覚悟を豊に知らせることによって沓子との『不倫』を容認する意思を伝えました。
光子が空港で待っていた理由
愛人のことは記憶に留めないと言い切った光子ですが、沓子のことを忘れるわけがありません。
それが豊と結婚した後の浮気ならまだ楽でしたが結婚前であり沓子は愛人にもなりませんでした。
光子の方程式には当てはまらない存在なのです。
そして光子は25年という長い間この日が来ることを想定して生きていたのでしょう。
そして遂にその日が来たことを『息子のライブ会場』で理解したのです。
息子の言葉を聞いた豊の背中に寄り添いながら光子は心の中でこう思います。
『いいのよ。行ってらっしゃい。25年間よく頑張りましたね』と。
それを詩集に託して渡した光子は強い女性です。
詩集の題名を『サヨナライツカ』にした意味
『サヨナライツカ』は原作小説の題名ですが映画にもそのまま使われています。
いつの日か別れる時が来るのだということは伝わりますが、この物語の主題はそこではありません。
沓子や光子そして豊にとってのサヨナラを探ってみましょう。
光子の『サヨナライツカ』とは
良妻賢母を絵に描いたように暮らすことだけを念頭に生きる光子は『幸せそうなご婦人』ですが『幸せ』ではありません。
常に『別れ』を意識するということは『別れ』に対して防御態勢を整えているということです。
だから愛されてもその幸福を信用しませんし、愛してものめり込むことはありません。