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主演ダコタ・ファニングが演じるウェンディが、病と共に知らない世界へ飛び出す『500ページの夢の束(原題:PLEASE STAND BY)』。
『スタートレック』の脚本コンテストを巡る本作は、自閉症という障がいを抱える人の生き方や自立に迫る内容でした。
トニ・コレットが演じる施設長のスコッティやアリス・イヴが演じる姉のオードリーは、今後どのようにウェンディと関わるのでしょうか。
監督は自身も歩行に障がいのあるベン・リューインで、障がいを持つウェンディが、今後自立するために何が必要なのか気になります。
そのヒントを感じさせるのが、初対面の人が特に苦手なウェンディが初見で心を開いた警官でした。
コンテストには落選しますが、それ以後に見られるウェンディの変化を読み取ることで、病との付き合い方が分かりそうです。
今回は「落選後のウェンディの様子」「ウェンディが警官に心を開く理由」「自閉症と自立のあり方」について考察します。
大いなる冒険で苦手を少しずつ克服
そもそも『スタートレック』自体が、広大な宇宙での冒険物語。その脚本を書くウェンディは、物語と同様にさまざまな世界を旅します。
自閉症という障がいを抱えながらも、ハリウッドに到着後、その苦手を克服している様子が落選後のウェンディの姿にありました。
信号は警戒すべきもの「だった」
映画冒頭、街に繰り出すことすら不安を感じるウェンディにとって、大きな難関の一つに信号機がありました。
ウェンディにとってシステムを理解するのに苦しむもので、不安を感じるはずの信号は、映画ラストには不安の対象でなくなっています。
というのも、自身が書いた脚本をパラマウントで「無理やり」ポストに入れて帰る途中、実はウェンディは信号を渡っています。
しかも「赤信号」で。
脚本を届けられたという喜びの方が大きかったためなのか、不安なく信号渡ることはウェンディにとって大きな成長です。
名前と場所は嫌い
施設長のスコッティとのミーティングの際、ウェンディは自身の苦手について、パニックになりながら叫びます。
名前と場所はきらい
引用:500ページの夢の束/配給会社:マグノリア・ピクチャーズ
自閉症を抱えている方の中には、ある目的地までの行き方を覚えられなかったり、人との接触が苦手だったりする方がいます。
ウェンディの場合外を歩いて目的地に着くために、どこをどう曲がって、どんな危険があるなど、不安の対象が多くありました。
当然姉のオードリーがいる自宅に帰るのも、大変な思いをするはずです。
しかし映画ラストでは、姉の家の前で姉妹の思い出があるピアノを弾きます。
つまりウェンディは外を出歩き、自宅に戻ることができるようになったのです。しかもピアノを弾くときに不安の表情はありません。
パニックにならずに自宅まで出歩けるようになったウェンディから、落選したとはいえ大きな自信を手にしていることが分かります。
人への対応も克服
バスから降ろされ、カップルによる盗難被害に遭う直前のシーンで、ウェンディはマディソンという赤ちゃんと出会います。
母親が赤ちゃんを抱かせようとマディソンを差し出しますが、ウェンディは拒否しました。赤ちゃんとはいえ、人と触れるのは苦手なのです。
これがコンテスト落選後には、姉の赤ちゃんであるルビーを自ら抱っこしています。
この描写から、ウェンディは完全ではないにしろ人との接触を克服しているのです。
おそらくこれは落選を経験するまでに、道中で感じた恐怖がウェンディを成長させたから。
この恐怖は、先述したウェンディの「場所」と「名前(人)」に対する不安感を克服させるものだったのです。
スタートレックの脚本
ウェンディが書いた『スタートレック』の脚本に、このような言葉がありました。
未知は克服するためにある
引用:500ページの夢の束/配給会社:マグノリア・ピクチャーズ
これまで自閉症という障がいも相まって、ウェンディにとって「未知」は外にあるものすべてでした。
しかし自身で『スタートレック』という、宇宙の冒険物語を書く中で「未知」にチャレンジすることの価値に気付くのです。
またこの物語は、姉のオードリーに見せたかった物語で、ウェンディにとって思い入れの深い作品。