上白石萌音が演じた奏のように少し触れてみましょう。
さくやこのはな
実はこの歌が一番多く出てきます。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」という『王仁』の歌です。
競技の最初に必ず読まれるスタートの歌として有名ですがこの歌は『百人一首』の中には入っていません。
仁徳天皇の繁栄を願って読まれた平安時代のこの歌は「皆が知っている歌の代名詞」なのです。
劇中で「今は春べと」を「今を春べと」と読んでいますが間違いではありません。
競技に使う札にある「いまは」が決まり字の歌との混同を避けるためにわざと「今を」と読み替えているのです。
たれをかも
「誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに」という『藤原興風』の歌です。
太一が千早をおんぶして帰るシーンで出てきます。
千早はこの歌を「昔の友達はもういない」という風に解釈しました。
しかし、その寂しさを『かるた部』創設のモチベーションに変えたのは千早の前向きな性格をよく表しています。
太一が千早を思う気持ちがよく出ているとても良いシーンでした。
ちはやぶる
『在原業平』が読んだ激しい恋の歌で題名の由来にもなっています。
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
千早は『自分の歌』だと決めていて『得意札』にしていますが、のちにメンバー全員の『得意札』になりました。
冒頭とクライマックスで出てくる『ちはしか見えない』とはこの札を指しているのです。
「ちは」の二文字が決まり字のこの札は『ちは』と呼ばれます。
しかし太一のセリフは千早のことを連想させるような演出です。
せをはやみ
新が名人の祖父から言われたこの歌は『崇徳院』の作です。
自分のせいで東京にできた友達と離れ離れにさせてしまったという事をこの歌の『岩』に例えています。
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」
でもきっとまた逢えるという前向きな解釈が新の支えになっているのです。
もろともに
「もろともに あはれと思え 山桜 花よりほかに 知る人もなし」
『前大僧正行尊』が読んだこの歌は、劇中で奏が解説したように一人ぼっちの寂しさを表現した歌です。
しかし千早は「強い絆の歌」だと解釈しました。
その姿勢が決勝戦で意気消沈していた森永悠希が演じた『机君』こと駒野を立ち直らせます。
千早の言葉を思い出した駒野に太一や奏、矢本悠馬の『肉まん君』こと西田が肩を叩いて勇気づけました。
百人一首の歌には様々な解釈がありどれも間違いではないですが『絆の歌』という解釈は千早独特のものです。
「自由になれ」に込められた思い
北央との決勝で責任感と緊張から思うように力を出せない千早に太一は「自由になれ」と言います。
その言葉にはどのような思いが込められていたのでしょうか。
個人戦と団体戦
5人のうち3人以上が勝ったチームが勝利となる『団体戦』。
普通に考えれば『個人戦』を5組やっているのと変わらないように感じます。
しかし、『団体戦』ならではの作戦やチームで声を掛け合う一体感が大きく勝敗を左右するのです。
エースである千早は全体を観なければなりません。
責任感と全国大会への強い思いが千早を締め付けます。
駒野の気持ちやチームの勝利に手足を縛られた状態の千早。
それを見ていた太一が駒野の立ち直りを確信したからこそ掛けた言葉なのです。
それは「今は目の前の敵に集中しろ」という太一なりの応援でした。