出典元: https://www.amazon.co.jp/dp/B0846C7R8Q/?tag=cinema-notes-22
「ゴモラ」のマッテオ・ガローネが監督を務めたイタリアの映画「ドッグマン」(c)2018 Archimede srl – Le Pacte sas(キノフィルムズ)
本作で見事な演技を披露したマルチェロ・フォンテは高い評価を受けました。
第71回カンヌ国際映画祭 男優賞 受賞
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ドッグマン
この作品は、温厚な主人公マルチェロが暴力的な友人シモーネに逆らえず、人生を破滅させてしまう不条理な人間ドラマです。
犬のトリミングサロンを営み、娘を愛するマルチェロ。彼はなぜ殺人を犯したのでしょうか。
今回は、シモーネを犬用ゲージに閉じ込めた意味・シモーネを殺したマルチェロが仲間に無視された理由を考察します。
上位に立ちたい願望
マルチェロは犬や娘を可愛がる優しい一面を持っているように描かれています。
彼は単にシモーネにいじめられているだけの存在なのでしょうか。もしかしたら何か心の中に秘めたものがあるのかもしれません。
犬の世話
マルチェロの店の犬は彼なしでは生きられません。餌も毛の手入れもゲージの環境を整えるのも、全て彼が行なっているのですから。
もし犬がマルチェロに逆らい脱走したら、野犬となって殺処分される可能性もあります。
マルチェロと犬の関係は平等でないことは明らかであり、犬と接しているマルチェロは常に上の立場でいられるのです。
それは人間関係で上位に立てないマルチェロのささやかな抵抗のようにも見えます。
娘への愛情
犬と同じ位可愛がっているのが娘です。
娘もまだ親が必要な年齢ですから、マルチェロの方が上の立場であり、彼の「人より上の立場になりたい」という欲求も満たせます。
彼は自分よりも弱い立場の存在に優しいのですが、それは言い換えると自分が支配できる相手だからなのです。
シモーネや友人とは平等の関係を築けないマルチェロの精神状態を保つ役割を担っているともいえるでしょう。
完全なる主従関係ではない
二人は人間と犬のように完全なる主従関係にあるように思えましたが、それは少々違うようです。
マルチェロはシモーネの暴力が怖くて従っていましたが、自分の分前を要求するなど、したたかな一面も覗かせています。
なぜ彼らはお互いに離れられない関係になっていたのでしょうか。
似たもの同士
類は友を呼ぶという言葉がありますが、性格も見た目も正反対の二人がつるむのは、何かしらの共通性があったからではないでしょうか。
シモーネがいつも街で暴れていたのは、自己顕示欲が強かったからかもしれません。
自分は誰よりも強く、逆らう者はいないのだとアピールしたかったのです。
一方マルチェロも、シモーネを殺害したことを自慢げに話していたことから、自分の強さを印象付けたい狙いがあったように見えます。
二人の根本にある欲求は同じなのかもしれません。
従うことにも得がある
分け前の話もそうですが、マルチェロがシモーネに従うのも何か得があるからなのだと思われます。