しかし、光州事件がそうであったように、実情は武力を持った警察の前に市民は無残に殺されるのです。
その事実の重さに耐えきれなくなった彼女はだからこそデモなんてやっても何も変わらないのだといいます。
実際日本の学生運動がそうであったように、気高き意志をもって行った運動でも大抵は無力化するものです。
それは国家権力という余りにも強大すぎる壁を前に個人が蹂躙されることの証明でもありましょう。
イ・ハニョルが重態化
そしてヨニが印象として持った感想はラストに催涙弾の前に重態化して倒れるイ・ハニョルという形で実現します。
大きな国家レベルの反逆や革命を起こす影でまたヨニにとって大切な個人の命までもが脅かされるのです。
彼女が放った言葉はそのまま跳ね返ってきた格好なのですが、しかしデモそのものは今度こそ成功します。
普通に考えれば絶対に無理なことでも地道な戦略を立てることで上手く流れを作り持っていくことが出来たのです。
だから、ヨニは最後自身が感じたデモの実情をとんでもない方法で変えられたことに驚きを感じたことでしょう。
歴史を作るのは指導者ではなく民衆
本作のラストではそうした影の実力者達の動きが民衆を打倒政権へ向けての大きな力となりました。
しかし、真に凄いのはその力をきちんと借り受けながらもデモへ向かって動いた民衆です。
真の意味での歴史の立役者は上に立つ人よりもそれを具現化して実行する人達かも知れません。
キム・ジョンナムにしてもチェ検事にしても、上の人達はあくまで自分達に出来る最善を尽くしただけです。
一つ一つの動きはそんなに大きいものではなくとも、それが波及し連鎖していくことで大きな革命となります。
千里の道も一歩からというように、大事を成し遂げる為には小事を地道に積み重ねていくしかないのです。
仲間力
本作は歴史の中で数ある学生運動の中でも数少ない成功例といえるものでした。
何故そこまで行けたのかというと一言でいって“仲間力”に尽きるのではないでしょうか。
本作は決して誰か一人のカリスマ性ある人物に民衆がついていく形で起こったのではありません。
キム・ジョンナムにしてもチェ検事にしてもあくまで各分野のスペシャリストに過ぎないのです。
そんな人達が国家に蹂躙される個人に怒りを燃やし、仲間達を集めて焚きつけていきました。
そうやって仲間を増やしていき、国家の隠された闇を暴き出したことで見事に革命を起こしたのです。
それは決して数の暴力ではなく、一つの目的や目標の為に世代や利害を超えて一致団結する力を指します。
社会の価値観が大きく変化していくであろうこれからの時代において大きなヒントとなるのではないでしょうか。
そのような神髄にまで深く迫ってみせた学生運動映画の傑作ともいえる名品でありましょう。