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全米の伝説的ジャズ・R&B・ソウルシンガーであるエイミー・ワインハウスのドキュメンタリー映画『AMY』。
アシフ・カパディアが監督を務め、映画はプライベート映像やインタビュー映像で、エイミーの人生を振り返りました。
稀代の歌声を持つ歌姫は27歳という若さで亡くなりますが、貴重な映像には素顔だけでなく、エイミーが抱える闇も映し出しています。
最も闇が見えるのは、エイミーと麻薬・アルコールの関係。なぜエイミーはこれらに溺れたのでしょうか。
さらには、憧れのトニー・ベネットと共演したり、マーク・ロンソンにプロデュースされたりと、有名になるエイミー。
しかし本人はそれを嫌っているようです。その理由はなんなのでしょうか。
そして一番気になるのは、エイミーがボロボロになるまでになぜ音楽活動を続けたのか、ということ。
第88回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞する傑作が映し出した『AMY』をもとに、本作の歌姫を考察していきます。
人生=音楽
アルコールや薬物依存でボロボロ。さらには、恋人との別れや病気。
エイミーは誰の目から見ても、異常とも思える精神状態と身体状況でした。しかし、それでも音楽活動はやめません。
なぜ、そうまでして音楽活動を続けてきたのでしょうか。
恋はすべて音楽になる
エイミーの信条として、自分が思ったことや感じたことをそのまま素直に歌で表現する、というものがありました。
人間生きている限り、さまざまな人と出会い、別れます。エイミーもさまざまな男性と付き合い、別れていきました。
その中で感じたことは、すべてエイミーの音楽の糧です。
当然幸せなことばかりではありません。苦しい思いもたくさんしています。
それでも音楽を続けるのは、恋をする限り何かを思い、感じているからで、それが音楽を作る糧や材料になるからです。
彼氏と別れても、辛い思いが「できます」。音楽こそ人生と決めたエイミーだからこそ、辛い思いをすることも音楽活動の1つなのです。
辛さを乗り越えた時に曲ができる
映画内でエイミーが最も愛し、固執していた人物がブレイクでした。そのブレイクと最初に別れたとき、さすがのエイミーもへこみます。
それからの私は完全にイカれてた。ほとんど錯乱状態よ
引用:AMY/配給会社:KADOKAWA
エイミー自身もブレイクとの別れについては、このように語っていました。
しばらく立ち直れないエイミーでしたが、やっとの思いで再び立ち上がったときは、ブレイクとの別れを歌にしています。
やはり、エイミーにとっては、辛い思いでさえも音楽の糧となることを証明した瞬間でした。
また、辛い思いを音楽にできたときこそ、エイミーがその辛さを乗り越えた瞬間なのです。
だからこそ音楽を捨てられないし、音楽でしか辛さは乗り越えられないと感じていたから、死ぬまで音楽を続けるのでした。
音楽が病気を治す
エイミーはさまざまな病気や依存症で悩んでいました。その1つに、13歳のころから抗うつ剤を服用していることを明かします。
つまりエイミーは、10代の若さでうつ病を発症しているのです。
抗うつ剤を飲んでも、症状と付き合うのはとても難しいですが、エイミーは音楽さえやっていれば1時間で症状が治ることを語りました。
エイミーにとって、うつ病を和らげるのは薬ではなく音楽なのです。
うつ病に加え、10代のころからの過食症、ドラッグ・アルコール依存症になり、苦しかったはず。
その苦しみを和らげるために、ある意味音楽をすることに依存していたのかもしれません。
薬物依存は昔から
アルコールや薬物に溺れ、矯正施設に入ったにもかかわらず、結局エイミーはアルコールと薬物依存からは逃れられませんでした。
この2つが依存状態になると、どうにも手を付けにくいことは周知の事実です。