ホルヘが教皇になり、ドイツ対アルゼンチンのWCをベネディクトと観戦するシーンがありました。

ベネディクトが以前興味を示さなかったサッカーを観た意味とは何だったのでしょうか。

1人ではできないこと

ベネディクト教皇はひとりでいることを好みました。食事も一人で摂りますし、趣味もピアノですから他者との交流はありません。

自己対話をしているつもりなのかもしれませんが、一方通行で狭い考え方しかできないのも事実です。

ベネディクト教皇にとって必要なのは、他者との交流によって自分を見つめ直すこと。

チーム競技であるサッカーを観戦することは、他者の存在を受け入れることに他なりません。

このシーンはベネディクトが他者を通して自分を見つめ直したことを意味しているのではないでしょうか。

妥協ではなく変化

サッカーに興味がなかったベネディクトがWCを観戦したのは妥協でしょうか。

彼はものの形や姿が変わることを「妥協」と呼んでいました。彼にとって妥協は負けと同じ意味を持つようです。

そしてその妥協をベネディクトは許しませんでした。変わらないことで教会を守ってきた保守派ならではの考え方なのでしょう。

ですがラストで改革派のホルヘとWCを観戦しているベネディクトは変化を楽しんでいるように見えます。

ベネディクトにとってWC観戦は趣味の幅を広げただけでなく、自分の殻をようやく打ち破れた証なのかもしれません。

2人が親密になれた理由

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性格も正反対であり保守派と改革派で対立する2人が、どうしてピザを食べながらWCを観戦する仲になったのでしょうか。

教会の役割は、神に寄り添うこと人々に寄り添うこと

ベネディクト教皇は神に寄り添うことが得意でしたが、ホルヘ枢機卿は人々に寄り添うことが得意でした。

この2つは同時にできそうで、意外と難しいのかもしれません。

正義と悪が時代や立場によって変化するのと同じように、この2つもその時々によって解釈の違いが生まれるのだと考えられます。

ベネディクト教皇が退位に言及した場面で出てきた「ローマ教皇が2人でもいいのではないか」という提案。

これは意外と理にかなっているのではないでしょうか。

現実的には難しいですが、教会の理想を追求したら新しい教皇の制度を作るのも一つの手です。

彼らがそんな激論を交わすのは、やはり教会を愛しているからこそだと思われます。

そしてその愛が彼らの共通項であり、性格や派閥の違いさえも越える力があるのでしょう。

人間は完璧ではない

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世界中のカトリック教信者から信仰を集める教皇と枢機卿は、清廉潔白ではありませんでした。

彼らは私たちと同じ人間であり、罪も犯します。

しかし罪を悔い改め、再び同じ過ちを繰り返さないようにすることができるのも人間です。

教会トップの2人の懺悔と赦しは、過去の出来事に囚われている人々にとって強い味方になってくれるのではないでしょうか。

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