引用元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07PBSGTF4/?tag=cinema-notes-22
トレイ・エドワード・シュルツが監督を務め、観た人に得体のしれない恐怖を植え付ける『イット・カムズ・アット・ナイト』。
同じホラー映画で、同じタイトルの始まりである『イット・フォローズ』とは、全く違う恐怖路線であることは間違いありません。
映画を観る中で特に気になるのが、結局「それ(イット)」が全く明かされなかったことではないでしょうか。
ジョエル・エドガートン演じるポールは、必死に「それ」から家族を守りますが、タイトルの「夜に来る」の意味が分かりにくい。
さらにクリストファー・アボット演じるウィルが、薪を持っていく際に犬が脱走しますが、その理由も明かされていません。
そして映画内で不気味な存在を放つ、みんなが暮らす家の赤いドアがなぜ開いていたのか。
「それ」が映し出す恐怖は何だったのか。今回はこれらについて考察していきます。
明かされないからこそ「怖い」
本作を観た人なら間違いなく「結局『それ(イット)』って何だったんだ?」という疑問を抱くはずです。
つまり、何か分かっていないのです。
この「分からない」ということこそ、人にとっての一番の恐怖の根源となります。
実際に映画内でも、感染源がアンドリューであることを疑って、一家同志の殺し合いに発展しました。
映画を観終わった私たちが、感じている「え。分からない(なにこれ。怖い)」こそ、恐怖の要因であることを本作は表現しているのです。
「それ(イット)」であるために
結局最後まで「それ(イット)」が何だったのか、明らかにされていません。
ただし先述したように、明らかにされていない事こそ人が恐怖を感じるものなのです。
では明らかにされないための要件とは何なのでしょうか。これを考えてみると「それ(イット)」と言われるための要件と重なります。
見えない
映画の中で「それ(イット)」と言われるのは、映画内の世界で蔓延している病気のことを指しています。
この病気はウィルスや細菌といったものが原因でしょう。
そしてそのどちらにしても、共通する点は、感染すると死んでしまう、尚且つ「見えない」という点です。
見えないものである以上、人はそれを実体として確認することはできません。
確認することができないということは「分からない」ということ。分からない以上名前のつけようはありません。
つまり、ウィルスや細菌が映画の恐怖の背景にある限り、ウィルスや細菌は「それ(イット)」と呼ぶしかないのです。
逆に実態が明かされてしまうと、もはや「それ(イット)」と呼ぶことはできません。だからこそ、明かされないのです。
感染経路・感染方法
よほどの医療施設がない限り、ウィルスや細菌がどのような感染ルートをたどって、どのように感染するのかは分かりません。
ポール、サラ、トラヴィスが住んでいた家に、病気を判明させるための装置など当然置いてあるわけもなく、ただ恐怖するのみです。
感染経路や方法が分からないからこそ、手洗いやマスク、シャワーや隔離生活などをするしかありません。
逆にこれが分かってしまうと、恐怖の対象が薄れてしまいます。つまり、極限の恐怖を味わわせるのは「実態が分からないこと」なのです。
「それ(イット)」は派生する
もともとは得体のしれない病気に対して、人々は恐れていたはずです。
しかし得体の分からないことによって、その恐怖は派生し、「それ(イット)」が指す内容も比例して範囲が広がっています。
死への恐れが疑心暗鬼に
トラヴィスがウィルの優しさやキムの美貌に触れる中、父のポールはトラヴィスにこう語ります。
どんな善人に見えても家族しか信用しちゃだめだ
引用:イット・カムズ・アット・ナイト/配給会社:A24
この発言から、ポールは常に家族のことを守らなければいけない、という強迫観念めいたものに支配されており、人を信頼していません。
常に疑心暗鬼になっており、だからこそ最後のシーンではウィル一家を疑い、銃を突きつけるのでした。
結果的にウィル一家もポール一家に疑念を抱いており、対策を講じています。この疑心暗鬼は、病気に対する恐怖が派生したもの。
本来ならば、まったくあり得ない不信感であったのに、病気に対する恐怖が人と人との関係を支配する恐怖に派生しているのです。
ここまで範囲が広がると、「それ(イット)」を明らかにしようとしても、指し示す範囲が大きくなっており収拾がつきません。