映画が進めば進むほど「それ(イット))」は、意味する範囲が大きくなってしまい、明らかにしようがない漠然としたものになるのです。
扉が開いていた「だけ」
常にロックをしていたはずの扉が開いていた。このシーンから、一気にポール一家とウィル一家の疑念が互いに大きくなります。
ついにはアンドリューに対しても、トラヴィスの発言により疑念が広がる始末。
しかし考えてみると、ロックをかけていたとはいえ、扉が開いていた「だけ」の事実です。
確かにトラヴィスが、犬のスタンリーを確認する直前に、映像上では扉の鍵は開いています。
開いてはいますが、家に大きな被害もなければ入ってきた人もいません。
気持ちは悪いですが、開いていた「だけ」で殺し合いにまで発展しているのです。
なぜそこまで発展したのかというと「それ(イット)」が明らかではないから。
恐怖が大きくなっているからこそ、「だけ」で大事に発展するのです。
病気は夜意外にも「やってくる(Comes)」
映画タイトル『イット・カムズ・アット・ナイト(It’s comes at night)』は、直訳すると「夜にそれはやってくる」です。
しかし、冷静に考えるとウィルスや細菌が、夜のみにやってくるなどありえません。
つまり映画タイトルそのものが、すでに病気の怖さが派生して、夜に来るものへの不信感や見えないものへの恐怖を示唆しているのです。
恐怖の伝播は、とどまるところを知らず、結局「それ(イット)」というものが何を指しているのかも明らかに「できない」状態。
これこそ「それ(イット)」が明らかにされないことの意味であり、理由なのです。
追い打ちをかける恐怖過敏症
本作の予告動画内には、恐怖過敏症が観衆を襲うようなテロップが流れます。
この症状があるからこそ、より恐怖が派生し、「それ(イット)」を明確に説明することを遠ざけているようです。
ポールが恐怖過敏症
恐怖を感じすぎてしまう症状が恐怖過敏症と解釈できますが、実はこれは映画の主人公であるポールがなっている症状だと考えられます。
家族を守るためとはいえ、ポールの行動はもはや狂気の沙汰です。
外部の脅威が強まるにつれて、ポールの内面にも深刻な変化が生じていた。彼が内に秘めていた怪物性が目覚めつつあったのである。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/イット・カムズ・アット・ナイト
この説明から、たかだか病気に対する恐怖が、恐怖過敏症のポールという一人の人間の怪物性を引き出したことが分かります。
映画タイトルの「それ(イット)」は、ポールの内面性にさえ及んだ意味になっているのです。
ここまでなれば、言葉で意味を明かすことは難しく、ストーリーや映像からしか判断できません。
中世ヨーロッパで起きた恐怖過敏症
映画内では、中世ヨーロッパで人口の3分の1の命を奪った「黒死病(ペスト)」を見立てた絵画が映されています。
そのことから、本作がそのペストの様子を取り入れていることが分かるのですが、ペストが流行したヨーロッパでも恐怖過敏症がありました。
つまり、人が人の感染を疑い、暴行したり殺害したりしたのです。
先述しているように、病気という目に見えない不確かなものが派生させる恐怖は、人々を恐怖過敏症にさせます。
この症状になった人は、ポールのように正しい、ベストな選択をしているはずなのに、その行動は過剰です。
過剰な行動の原因は恐怖過敏症であり、その原因には不確かな恐怖を抱えるウィルスであります。
不確かゆえに、明かされることはないのです。
犬(スタンリー)が森へ…
本作は、随所に「明らかにされない」場面が見受けられます。犬のスタンリーが森へ走っていったシーンもその一つ。
実はこのスタンリー、他の犬(野犬や狼の可能性もあり)を追いかけたようにも思えます。
それは、トラヴィスがアンドリューを見つけ、ドアが開いていることを発見した夜。
トラヴィスは夢遊病らしき症状で、外に出てスタンリーの声を聞きます。