非常にベタな古典の引用ですが、思い切ってストレートに構図を用いたことで二人の関係が明確になりました。
そしてそれがラストのジェシーの目玉を軽々と食べるサラの伏線にもなっているのです。
鏡=周囲の目
二つ目に鏡が「周囲の目」という自分自身の現実に対する客観性を持たせる役割もまた果たしているのです。
これはモデルやファッションといった人に「見られる」ことを強烈に意識せざるを得ない職業だからでしょう。
サラのみならずジジもルビーも常に見られること=美しく見えることを意識し努力してきました。
しかし、どんなに努力で磨いたところで自然体の美しさと輝きを持つジェシーの前では無用の長物です。
そのように周囲の目が奪われたからこそサラは鏡=周囲の目を否定し破壊してしまったのではないでしょうか。
天才と秀才の壁
そしてもう一つ、非常に普遍的だからこそ表現が難しい「天才と秀才の壁」があったのではないでしょうか。
サラやジジ、ルビー達他のモデルも才能がないわけじゃないというか才能があるからこそ業界へ入れた秀才です。
しかし、世の中自分には絶対敵わないと無力化させられる圧倒的な天才が世の中にはいるのです。
サラ達は決してモデルとして弱いわけじゃないけど、かといって絶世の美女と断言できるレベルにはありません。
とはいえ、ジェシーへの負けを素直に認めるには努力と実績から来るプライドが邪魔となってしまいます。
埋められない才能の壁への鬱屈とした想いが鏡を割る形で具現化し、カニバリズムのラストへ繋がったのです。
才あるものは徳あらず、徳あるものは才あらず
ジェシー達本作のモデルが特に強く示しているのは「才あるものは徳あらず、徳あるものは才あらず」です。
新井白石の格言ですが、ジェシーは才こそあったものの徳はない人であり、才故に身を滅ぼしました。
一方でサラ達はきっと徳はあったものの、才に関しては半分以上を努力で何とかしてきたのでしょう。
しかし、だからといってジェシーが才も徳も持ち合わせていたら良いのかというとそれも違います。
誰しもが才能ある者を妬みますが、しかし才能ある者はそれ故の孤独や価値観のズレと向き合わないといけません。
ジェシーは恐らくその孤独や価値観のズレと向き合わなかったから身を滅ぼすことになったのでしょう。
真に素晴らしい天才とは誠に得がたいものだということを彼女の結末が教えてくれました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は展開こそ非常に強烈な”美”を意識したホラー映画ですが、奥底のテーマは意外と普遍的な“才能の壁”です。
ファッション業界の闇だからやや特殊に見えるだけで、どんな世界でも才能の壁は存在します。
だからこそ大事なのは才能ある者が決してそれをひけらかしたり誇示したり自惚れたりしてはいけないということです。
16歳という若さでとんとん拍子にトップモデルとなったジェシーは挫折や努力、失敗を経験していません。
そのようにして得た上っ面の活躍や人気ではサラ達でなくとも人の反感を買ってしまうのも仕方ないのです。
そしてまたサラ達もその嫉妬をプラスエネルギーへと昇華していく方法を身につけておくべきでした。
才能とどう向き合うべきか、美を通して非常に深く迫るように描き出した渾身の一作でしょう。