自分ではギリギリまで力を出しているつもりでも、無意識に限界を作っているのです。
逆に犬屋敷の場合、無理をしないと守れない状況ですから、限界を突破する必要性が出てきます。
どうしても麻里を守りたいという思いが、能力以上の力を引き出したのでしょう。だから最後の最後で形勢逆転を果たしたのだと思われます。
弱点を知らない
弱点を知っていないと自分の身は守れません。それに相手に致命的な攻撃を仕掛けるためにも弱点を把握することは重要です。
「守る」という考えを捨てたからこそ、獅子神は攻撃にしか目を向けなかったのでしょう。
守るものを失った弊害がここにも現れているのかもしれません。
ラストの獅子神の生死
犬屋敷との対決の数日後ニュースで獅子神の死亡が発表されました。しかしエンドロールでは獅子神と安堂が再会します。
目を離した隙に獅子神が消えていたのは何を意味しているのでしょうか。
安堂の幻覚?
消えた時カーテンは揺れていたため、獅子神が飛んで行ったようにも見えますが、音がしなかったのは不自然です。
例え獅子神が無差別殺人の容疑者であっても、安堂にとっては唯一の友達。ですから生きていてほしいという願望が強かったでしょう。
それにもし生きていたなら「帰るよ」と一言残して行くでしょうし、窓から消え去る必要もありません。
別れの挨拶も無しにいなくなったことで、本当に死んでいることを印象付けたかったのではないでしょうか。
犬屋敷は人を殺すのか
これまでずっと瀕死の命を救って来た犬屋敷が、最後に獅子神を殺したとなると「正義」の意味が曖昧になるようにように思われます。
獅子神だって本当は人間を殺したくなかったはずで、全くの悪とは言い切れないでしょう。
そんな彼を殺したのなら、犬屋敷の正義に疑問を感じざるを得ません。
獅子神は生きており、警察が意図的に「死亡した」と結論づけたのではないでしょうか。
誰にも止められない力を持つ生き物は恐怖の対象であり、人々をパニックに陥れます。
それを警察が制御できないとなったら、警察の信用が失われかねません。
だからこそ地球外生命体が2人を機械にして事故を隠蔽したのと同じように、警察も獅子神の存在を隠したかったのではないでしょうか。
日常に戻る犬屋敷
獅子神との戦いに勝った後も、犬屋敷の生活は以前とほぼ変わりません。生き甲斐を見つけながらも日常に戻ったのはなぜなのでしょうか。
もしかしたら生き甲斐はもっと些細なものだと気づいたのかもしれません。
上司に嫌味を言われ、家ではしいたげられるけれど、決して居場所がないわけではないのだと。
悩みは自分の内側から発生しており、相手に変化を求めるのではなく、自分の意識を変えれば世界の見え方も変わると知ったのでしょう。