ラストでは崇史と麻由子がすれ違い振り向くシーンがありますが決定打ではありません。
二人はあくまですれ違っただけなので、結末を見る限り麻由子は誰の恋人でもないのです。
なのでここからは崇史と智彦との可能性について考察していきましょう。
崇史と脈あり
まず崇史との可能性に関しては100%ではありませんが脈ありと見て間違いないでしょう。
三人の関係性が白紙に戻る前に麻由子は「私を探して」という捨て台詞を残しています。
全く脈もなく嫌いな人に対してこのような台詞はいいませんので、崇史との可能性はあるでしょう。
ではなぜ直球で気持ちを伝えないのかというと崇史の方から来て欲しいからではないでしょうか。
麻由子のような澄ましたタイプは本当は好きなくせにその気持ちをストレートに表現できません。
また崇史はどこか智彦への遠慮があって自信がなさそうに麻由子には映っていたと思われます。
そのことを踏まえると崇史と麻由子の可能性は十分に考えられます。
智彦の可能性は?
では智彦の可能性はどうなのかというとゼロではないにしても限りなく低いでしょう。
その根拠として智彦は記憶の改変で罪もない後輩や親友を巻き込み会社にまで迷惑をかけています。
どんなに脳科学の天才であったとしても次に何をしでかすか分からない危険人物だと判明したのです。
直接的に巻き込まれていないとはいえそこまでするような人とは付き合いたがらないでしょう。
だからこそ記憶が全てリセットされてからラストまで智彦の姿は映っていません。
そのことが麻由子の中で智彦との関係性の自然消滅を意味していたのではないでしょうか。
地道に頑張る
ここで冒頭のテーマに戻りますが、結局智彦の脳科学は周囲を幸福にはしませんでした。
そしてラストでは苦労しながらも地道に頑張った崇史が麻由子との可能性を手にしています。
ここから分かることは人生において幸せになる便利な魔法や道具などはないということです。
本気で幸せになりたかったら、本気で人を幸せにしたかったらコツコツ地道に頑張る以外ありません。
脳の一部の機能を人為的に狂わせ得た世界など所詮麻薬と同じで嘘っぱちの快楽なのです。
三者の関係性とSFガジェットを通して伝えたかったことは実はとてもシンプルなメッセージでした。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作はその表面上の難解さやエキセントリックさがただの飾りでしかなく本質は地味です。
しかしその地味なテーマこそ実践することが最も難しく最も尊いこともまたありません。
崇史と智彦と麻由子の運命の歯車は脳科学の実験によって狂ってしまいました。
しかしそれ故にラストの結末は人生で本当に大切なことは何かを考えさせるものになっています。
万人受けはしにくいかもしれませんが二度三度と見る度に味わい深さを増してくるのです。