仲間の死を背負って人生を重く生きる侍たちに対し、百姓は歌を歌いながら前を向いて生きています。
彼らのように生きれたら…、そんな思いもあったのかもしれません。
勘兵衛のセリフが物語る侍の姿
勘兵衛のラストのセリフには、深い哀愁が感じられます。
黒澤監督が描いた侍像とは一体どんなものだったのでしょうか。
百姓との違い
劇中での両者の間にはしっかりと境界線が引かれていました。
とはいっても裕福さや身なりでの差ではありません。
生きる為に何でもする百姓と、行動に誇りを持っている侍です。
百姓はないないと言いながら、何でも持っている。
引用:七人の侍/配給会社:東宝
上記のセリフのように、決戦前夜はどこから出てきたのか酒が振舞われています。
一方、侍は「ない」といったら「ない」のです。
両者の行動を比較しながら観ると、黒澤監督の描いた真の侍像が見えてくる気がします。
種子島を使わなかったわけ
侍たちは、種子島を手に入れたにも関わらず使用していません。
なぜなら使用するために奪ったわけではなく、自分たちを脅かす種子島を減らしただけなのです。
平八や五郎兵衛など味方が四人も撃たれているにも関わらず、彼らは最後まで侍として戦ったのです。
時代に取り残された侍、という捉え方も出るのではないでしょうか。
しかしだからこそ、時代に流されず戦った侍なのでしょう。
劇中で描かれていたのは、侍の精神性なのです。
寡黙な久蔵の存在
劇中でひと際目立つ存在なのが、寡黙な久蔵です。
剣の腕がずば抜けていて、ひたすら侍道を突き進むような男です。
勘兵衛にはない、侍らしさを持っているのではないでしょうか。
彼の存在は、七人の侍を理想の侍像に近づけるものです。
時代と共に翻弄され、様々な生き方をしている侍たちと比較しても、彼の生き方は本来あるべき侍の姿といえます。
あなたは素晴らしい人です。
引用:七人の侍/配給会社:東宝
勝四郎は上記のように言っていますが、侍たちが憧れる侍なのでしょう。
世界に誇る名作中の名作
『七人の侍』は誰もが知っている名作映画としてあまりにも有名で、観たことがなくてもタイトルは知っているという人も多いようです。
1960年には「荒野の七人」としてハリウッドでリメイクもされています。
本作は侍の生き方、侍の姿を世界的に決定づけた作品ではないでしょうか。
これ程味わい深く、白熱した演技の映画は他にはないといえます。
何度も繰り返し観ることで、黒澤監督の深いメッセージに触れることが出来るでしょう。