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【ピアノの森】ピアノに対する海と修平の考え方を考察!なぜモーツァルトのお化けが見えた?海が予選突破できなかった原因とは

出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B000XA813U/cinema-notes-22

映画「ピアノの森」は「花田少年史」で有名な一色まことの原作漫画をアニメ映画化した作品です。

アニメーション制作は「時をかける少女」を手がけたマッドハウスと「ピアノの森」製作委員でした。

また、声優に上戸彩、神木隆之介、宮迫博之、池脇千鶴を抜擢したことも大きな話題を呼んでいます。

非常に高いクオリティでまとまった本作は評価も高く、受賞歴は以下の通りです。

第31回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ピアノの森

二人の少年ピアニストの才能を巡っての対立や葛藤・友情などが思わず見る側の共感を集めています。

本稿ではピアノに対する海と修平の考え方の違いを中心に考察していきましょう。

またモーツァルトのお化けが見えた理由、そして海が予選突破できなかった原因も併せて掘り下げます。

原作・テレビ版との比較

ピアノの森 コミック 全26巻完結セット

本題に入る前に原作漫画版・テレビ版との違いも幾つか押さえておきましょう。

原作と違い本作は小学校の導入編のみで終わっていますが、基本構造は原作準拠です。

一方テレビ版では原作版・映画版に比べると「淫売」という言葉や暴力表現などには規制がかかっています。

また、テレビ版では森の端がカメラマンの存在ではなくネットに投稿された動画で認知されるのです。

つまり本作は原作準拠にした上でより繊細な部分を艶やかに演出しているという感じでしょうか。

そしてそれが本作独自の作風へと繋がっています。

海と修平の考え方

本作を考察していく上で一番の見所はやはり二人の少年ピアニストである海と修平です。

彼ら二人はピアノの才能を持ちながら、その生き方も考え方もまるで対極にあります。

ここでは二人の生い立ちなども含めて見ていきましょう。

天才と秀才

谷村新司の天才・秀才・ばか〈3〉 (1977年) (ワニの豆本)

まず大きく目立つのは海が生粋の天才であるのに対して修平が努力家の秀才タイプという違いです。

海は別に誰かに習ったわけでもないのに自らの純粋な好奇心と天性のセンスで自分独自のピアノを弾けます。

一方の修平は小さい頃から英才教育を受けてきたエリートであり、その楽譜は基本に忠実で丁寧です。

だからこそ教科書通りには弾けますが、一方で自分独自の音といった天性のセンスはありません。

この埋めがたい天才と秀才の壁が育ってきた環境で違っていることが挙げられます。

自分基準か他者基準か

「つい自分を後回しにしてしまう」が変わる本―――自分を優先できるようになると毎日が輝きだす

天才と秀才の違いは同時に自分自身の価値基準や性格の違いにも繋がっています。

天才肌の海はあくまでも「自分がやりたいと思った」からピアノを弾くのであって人の意見に左右されません。

寧ろ家庭環境が貧しいから習い事をさせる余裕はないのを何とかしようと森のピアノを弾く程です。

一方の修平は教育熱心な両親の顔色を窺いながら観客・聴衆の求めるピアノを弾いています。

つまり「周りが求める」からピアノを弾き、常に人目を気にするので割と人の意見に左右されやすいのです。

だから海はあくまでも自分基準、そして修平が他者基準という違いが浮かび上がります。

自然と都会

そして何より大きな違いは海が自然、そして修平が都会で育ったという環境の違いではないでしょうか。

やはり人間は生きてきた環境によって人格形成に影響が出るのでどうしても環境には勝てません。

小さい頃から自然の恩恵を受けて育ってきた海は貧しいながらも自由で広い心を持っています。