正に陰極まって陽生ずというもので、強烈に輝く幸せは暗く深い闇の経験が必要となります。
もし大谷の死がなく淡々と平坦な道のりで辿り着いていたらこのカタルシスは半減したでしょう。
亘理たちは大谷の死によって全員がより強く生きて幸せに食べて暮らせるありがたさを知りました。
正に北海道企画が一番大事にしてきた「食を通して「幸せ」を考える」というテーマの集大成でしょう。
「俺のチーズは作れない」の真意
さてその大谷は生前亘理に対して「俺のチーズは作れない」と辛く厳しく当たりました。
それはまるで亘理のやっていることを全否定しているようですがその真意はどこにあるのでしょうか?
彼の言葉の裏に込められた想いを読み解いていきましょう。
亘理にしか作れないチーズがある
最初の意味は「亘理にしか作れないチーズがある」であり、これは終盤で示されています。
上記した年季の入った特製のチーズですが、これは10年前に亘理が初めて大谷に届けた牛乳で作られたものです。
この時大谷はまるで未来を予見したかのように次のような言葉を残しました。
お前はお前の、自分のチーズを作るんだ
引用:そらのレストラン/配給会社:東京テアトル
そう、大谷は決して亘理のチーズ作りそのものではなく自分独自のチーズを作ることを望んでいたのです。
亘理のポテンシャルの高さと本質を見抜いていたからこその一言であることが分かります。
正にこのシーンにこそ本作最大の特徴である「離れること」が凝縮されているでしょう。
仲間たちの存在を忘れないこと
二つ目に大谷は亘理のチーズが決して彼一人の力によるものではないと知っていたのではないでしょうか。
愛する妻のこと絵と娘の潮莉をはじめ食を通して繋がってきた仲間たちが居て初めて亘理は輝けるのです。
食の喜びを知りみんなで幸せを分かち合って苦しいことも悲しいことも全てを共にしてきました。
真に美味しい料理は食する人達の存在があってこそであり、亘理は自然にそれが出来る人です。
誰よりも素直に仲間たちの力を借りられる亘理の強みもまた大谷はしっかり見ていたのでしょう。
それは同時に亘理が自分独自のチーズを追求する余り独善に陥らないようにという戒めでもあったのです。
非難されてこそ一流
そして何よりこういう非難の言葉が出ること自体亘理が一流のチーズ職人であることを意味します。
野球の世界では故・野村克也監督には「三流は無視・二流は称賛・一流は非難」というモットーがありました。
即ち真の一流は批判・非難を真正面から受けて尚挫けずに頑張れる人のことを指すのです。
亘理が一人前になれると見込んでいるからこそ敢えて厳しく非難し突き放したのでしょう。
それ位亘理のチーズ職人としての実力・人柄共に申し分ないレベルであることを示しています。
そして大谷の期待に見事応えた亘理はラストで真のチーズ職人として覚醒し、大谷の妻佐弥子を感涙させました。
神戸が羊を食べた意味
さて、もう一つの見所として本作の中盤には一人で羊を育てていた神戸陽太郎が羊を食べるシーンがあります。
自分が丹精込めて育てた生き物である故に食することを躊躇いますが、彼は食べた後に涙を流しました。
果たしてこの一連のシーンにはどのような意味があるのでしょうか?
食べ物の有難味を知る
一つ目が食べ物の有難味や”生きる”ことの本質を頭ではなく体で知ることが出来たことを意味します。