しかしラストには菊間との駆け引きが明らかになり、勝ちを譲るという立ち位置を選んだ帝一のブレない精神があらわになったのです。
結局、この映画における「正解」は何だったのか。間違っているのは誰なのか。ハッピーエンドとは一体何なのか。
何もかもが分からなくなるような結末です。
絶対的正義として描かれている大鷹弾が人間として正しいかといえば、そんなことはありません。
自分の欲望に対して真っ直ぐに生きる帝一にも、人間的な魅力があるのです。
熱い友情映画として完結するかのように思わせて、実は綺麗事では終わらず、問題を提起する形で締めくくったのは「上手い」のひと言です。
実写だからこそ可能になった魅力的な演出
原作の面白さの一つが、大真面目に非現実的なことをやる帝一たちの姿です。映画でも俳優たちの全力の演技が原作の世界観を継承しています。
劇画的でビビッドな色が散りばめられた映像もまた、原作漫画の世界観を忠実に伝えています。糸電話のシーンまで実写化されており、そのシュールさは笑いを誘いました。
帝一と父のテスト採点シーン
帝一のテスト採点のシーンが原作を超えていると話題になりました。
菅田将暉と吉田鋼太郎のアドリブじみた掛け合いは漫画で出せるものではありません。実写だからこその迫力だといえます。
大御所俳優・吉田鋼太郎の不思議なほど熱い演技は若い世代に強い印象を残し、その名前を知らしめました。
「ふんどし一丁での太鼓演奏」と「マイムマイム事変」
ふんどし一丁で太鼓を演奏するシーンの撮影は真冬の体育館で行われ、内側から熱くなった彼らの肉体からは湯気が立ち上りました。この迫力は実写ならではでしょう。
非現実的で印象的なもう一つのシーンが「マイムマイム事変」です。こちらにも実写だからこそ得られる迫力があります。
漫画の不可思議な世界では受け入れられても、実写としては違和感の塊になってしまいそうなこれらのシーンを、俳優たちは全力で演じています。
彼らの「本気」が原作の非現実を現実へと昇華させ、原作ファンをも唸らせる結果へと導いているのです。
逮捕された父に向けられた帝一の悲しみ
逮捕された父に対して帝一が「ピアノを弾きたい」と訴えるシーンは、不思議と涙を誘います。
感情をむき出しにする菅田将暉の演技はストレートに悲しみを伝え、心を揺さぶりました。
特異な世界観へ案内する主題歌「イト」
古屋兎丸が描いた世界観は音楽でも表現されています。序盤でテストを解く帝一の姿の異様さを引き立てた挿入歌は印象的でした。
主題歌を担当したのはクリープハイプ。耳に残る高音のボーカルが、映画の中の「古屋兎丸らしさ」を引き立てています。
男らしさではなく「男の美しさ」を描いているような古屋兎丸さんの作品と、クリープハイプの美しいハイトーンのゆらぎはこれ以上ないといえるほどのベストマッチ。
流行だけでバンドを選ばず、原作の世界観を忠実に伝えるためにクリープハイプを抜擢したのです。
永井監督の原作へのリスペクト、バンドへのリスペクトが滲み出ています。
映画に垣間見える敬意に原作ファンが納得
原作の世界観を壊さないよう、緻密に作り上げられた映画『帝一の國』。
原作の素晴らしさに実写でしか出せない迫力を付加し、原作の魅力を更に押し上げました。
これは全て、監督や俳優陣を始め映画製作に携わる人々の原作に対するリスペクトがあってこそではないでしょうか。
映画全体に散りばめられた原作への敬意が、映画『帝一の國』を原作ファンにも認めさせた最大の要因なのです。