その思いが二人を現世に留まらせ、炭治郎を生き残らせえるべく現れました。
冨岡が禰豆子を見逃した真意
鬼の危険性を知りながら、冨岡は何故禰豆子を見逃したのでしょうか。
飢餓状態を耐える禰豆子
最初は頑なに炭治郎の言葉を否定していたことから、人を襲わなかった鬼は本当に一人もいなかったことがわかります。
「山ほど見てきた」と強調していることから、冨岡が経験した修羅場の数は相当なもの。
自分の経験を100%信じることができるほどの数です。
それだけの経験をしたから、炭治郎を襲うのをやめて自分を威嚇する禰豆子の姿は衝撃だった。
禰豆子の姿は、冨岡の中で揺るぎなかった考えを揺るがすほど大きなものだったのでしょう。
だからこそ、見逃して僅かな希望にかけてみたくなった心情が推測できます。
人間に戻す方法があるかもしれないという希望
しかし鬼ならば、鬼となった人間を戻す方法を知っているかもしれないと冨岡自身が口にしています。
この時点では確信のないことですが、冨岡はまさに目の前で自身が持っていた固定概念が崩れる場面を目撃しました。
倒すか倒されるしかない鬼との戦いでは、鬼から何かを聞き出すことは困難です。
まして、鬼となった人間を元に戻すことを鬼に聞くという発想が普通は出なくて当然です。
ですが、目の前で起こった奇蹟を見て自分が口にした希望に現実味を見出した。
禰豆子を見逃すことで、冨岡は奇蹟を信じてみたくなったのです。
終わりに
インターネットとそれに接続できるデバイスが爆発的に普及したことで、小さな子供でも大量の情報に触れられるようになりました。
当然そこにはよからぬ情報もあるわけですが、こうした時代の流れは止めることはできません。
だからこそ、子どもたちには人間の心が持つ強さや優しさを訴える存在が必要とされた。
戦いの物語の中でも、あまりに優しくあり続ける炭治郎はまさにそうした存在でした。
親が子に安心して見せられ、尚且つ親もハマって見ることができるクオリティの高さ。
アニメの鬼滅の刃が大ヒットした理由はこうした部分にあると考えられます。
もちろん、キャラクターのデザインや世界観、音楽などその魅力は数え上げればきりがありません。
はじまりの物語である「鬼滅の刃 兄弟の絆」。
互いが互いを思いやる姿に満ち溢れた今作は、良質な映画であると同時に良質な教育番組ともいえます。
是非、アニメ鬼滅の刃の魅力を体験してみませんか。