しかし、今の彼女の中にあるのは自殺願望であり、リードのような他者を傷つける願望はありません。
つまりリードの持つ殺人の衝動を自身が顔面を殴ることで理解しようとしたのではないでしょうか。
自殺願望と真逆の他者を衝動で傷つける心を知ることで初めて人を愛せると思ったのです。
真ん中を知る為に敢えて普段自分がしていることと正反対をやってみるのも確かな経験となります。
SMでは経験出来ないから
ジャッキーがSM嬢を仕事にしているのも恐らくは自殺願望と逆のことをしてみたいからでしょう。
とはいえ、一娼婦でしかない彼女がSM嬢としてやるべきことはあくまで「仕事」でしかありません。
SM嬢の役目はお客様を気持ちよくすることであって、傷つけることではないのです。
だから、思いっきり顔面を殴ることはSM嬢として超えてはならない一線を超えることになります。
そのことも承知の上で彼女は思いっきり殴りたいと口にし、そして実際に殴ったのです。
禁断の愛へ踏み込む覚悟
上述してきた「愛」を絡めるなら、この台詞は禁断の愛へ踏み込む覚悟ではないでしょうか。
歪んだ形でしか表現できないとはいえ、ジャッキーが欲しがっていたのはリードからの愛です。
でもそれは痛みを伴うことですし、彼の家庭をも壊すという代償を払うことになります。
だからこそ彼にその気があるのかをこの台詞一言に込めて発したのでしょう。
その後リードは自分を殺そうとまでしたことから予想以上の答えが返ってきました。
ジャッキーはそんなリードを受け入れ愛する関係に至ることを決心しラストシーンへ繋がります。
偽りの自分を演じなければならない現代社会
奇想天外の形で「愛」を描いた本作ですが、その背景にあるのは偽りの自分を演じなければならない現代社会です。
今果たして大人も子供も含めて一体どれだけの人が本当の自分を知って生きているのでしょうか?
リードやジャッキーのようなおおよそ普通の人とはまるで違う性癖や感性の持ち主もいるかもしれません。
ですが、そういうのは「世間一般の常識から外れる」というだけで爪弾きにされてしまうのです。
二人が最終的にアンダーグラウンドな関係に図らずもなっていったのはそうした背景があるからでしょう。
二人がやったことは決して上等ではありませんが、そのような闇を現代社会は生み出し落ちこぼしています。
そこからの脱却を図ったのが実は本作だったのかもしれません。
No pain, no gain
いかがでしたでしょうか?
本作は表現やアプローチこそ奇抜ですが、本質は極めて真面目に男女の愛を通した人間のあり方を描いています。
そこで最後に残るメッセージ。それはNo pain, no gain(痛みなくして得るものなし)ではないでしょうか。
リードとジャッキーはやや特殊な性癖の持ち主でしたが、最後に得た愛は実は何も変ではありません。
リードは家庭を捨てることになりますが、見方を変えれば家庭を捨ててこそ本当の自分に戻れるということです。
ジャッキーもまた初めてリードのような本当の自分を曝け出せるリードという男性に出会えました。
それは決して世間一般から見て褒められた普通の生き方・考え方ではないのでしょう。
しかし、普通ではないからこそ得られる考えや生き方こそが実は面白いのかも知れません。
そのようなことを受け手に「突き刺す」ように訴えてくる作品として、今後も残り続ける筈です。