これはサイコセラピストであり、そして敦子自身であるパプリカだからこそ、できたことといえるでしょう。
このように、夢を見ることで、出来なかったことが出来るようになるかもしれない。
そんな力を与えてくれるのもまた、「夢」なのです。
夢見る子供たち
粉川が観に行く映画のタイトルは『夢見る子供たち』。
乾とパプリカの対決を踏まえると、夢を見るのは子供なのだというメッセージかもしれません。
ですが粉川(大人)が映画を見に行くという構図から、もう一つの示唆が見出せます。
大人が夢を見るのもいい。映画(フィクション=虚構=夢)は、生きる力を与えてくれから。
これを、映画の作り手たちからのメッセージとみるのは、深読みし過ぎではないはず。
夢とは、現実を生きる為に必要なものなのです。もちろん夢は夢と理解したうえで、ですが。
パプリカ その名前と意味を考察
最後に、「パプリカ」という存在について考察します。その名前にはどんな意味が込められていたのでしょうか。
ロボットになった時田が、敦子を“食べて”言ったセリフにそれを考えるヒントが見出せます。
ややスパイスに不足
欠如は パプリカ?引用:パプリカ/配給会社:ソニー・ピクチャーズ・クラシックス
食べて何かが足りないと感じるのは主にスパイス不足によるもの。言われている通り、パプリカは赤く鮮やかなスパイスでもあります。
現実も同じ。人はただ生きているのではありません。
粉川刑事や敦子のように、夢や秘められた想いによって人生を彩ることができます。
そう考えると、彼女の名前がパプリカであることは非常に納得がいくでしょう。
ちなみに、パプリカの花言葉は「君を忘れない」。
「君」とは、子供のような純粋な気持ちでしょうか、大人になっても諦めきれない深い情念でしょうか。
この作品の中では、夢に囚われた人、夢に決着をつけた人、様々な存在が描かれていました。その結末も様々。万人への答えはありません。
夢とは人それぞれのもの。だから、どう向き合うかは自分で考えなさい。
夢の中のセラピスト、パプリカは本作を通してそう示してくれているのでしょう。