彼女の人となりも含めて読み解いていきましょう。
幸世の本気度を試す
一つ目がまず幸世のみゆきに対する愛の本気度を試したのではないでしょうか。
前半のみゆきは小悪魔として描かれており、幸世と仲良くしつつも翻弄して覚悟を試します。
るみ子は清楚なお嬢様であり、いってみれば女版ダイスケといえるでしょう。
その強者を振り切ってでもみゆきの所に来た幸世の愛は本気だと判明しました。
共依存の危険性
二つ目にるみ子の行動・言動が如何に共依存のそれであるかという危険性を示すためです。
彼女は幸世と一緒になるために友達から始めてくれとか趣味を合わせるとかいいます。
他人に尽くすことが自分の人生という、中身がまるでない人間のすることではないでしょうか。
明らかに幸世に媚びてるのが見え見えで、幸世には上手くいかない時の自分として映ったと推測されます。
尚且つ一度モテキが来ながらものに出来なかったからこそ、一方的に好かれる虚しさをよく知っていました。
だからこそこのまま流されれば共依存で共倒れになると踏み、危うくなる前に損切りしたのでしょう。
美人は何のステータスにもならない
三つ目にもはや美人であることが何のステータスにもならないことを示すためでしょう。
みゆきやるみ子、更にアイドル枠とはいえPerfumeやももクロなど美人女性の象徴が挙って出てきます。
でも彼はその美人達を振り切って中身でみゆきに惚れ込みみゆきを口説き落とすのです。
決して見た目に惚れたからではなく、体がもうみゆきを素直に求めているのでしょう。
それは同時にるみ子との関係を通して幸世が自分の芯を形成していく過程を描いてる証左でもあるのです。
思考ファーストではなく行動ファースト
こうして見ていくと、最終的には草食系や肉食系という括りが何の意味も成さないと分かります。
幸世とみゆきが結ばれたのはただ素直に行動したかしなかったか、というたったそれだけです。
「出来るか出来ないかではなくやるかやらないか」といいますが、本作の幸世は正にこれを体現しました。
勿論素直に行動する為に沢山傷つき沢山後悔するので、何度も諦めそうになる瞬間があります。
でも成功するまで頑張れば、たとえ不器用泥まみれでも本物となるのです。
一度きりの人生、思考ファーストではなく行動ファーストで生きるといいのではないでしょうか。
身体の感覚を大事にする
こうして見ていくと、「モテキ」で最後に残されたメッセージは身体の感覚を大事にすることです。
幸世は思考の枠や職場の人達の目といった世間体とぶつかり、そこから解放されてみゆきを手にします。
それは彼が思考や理屈ではなく身体の感覚に正直に生きて行動した結果の積み重ねでしかありません。
逆にいうとオタクと美人は釣り合わないとか社会的地位がどうこうとか全部偏見でしかないのです。
そう決めつけている時点で既に思考の枠に囚われており、上手く行くはずがありません。
幸世の生き方はその意味で決して荒唐無稽でも何でも無く誰にでも出来る筈なのです。
そのことを飾らず直球で描いたからこそこれだけの好成績を叩き出す名作となったのではないでしょうか。