望まぬ親の後継者を選ぶか自由意志かという非常に王道的なテーマを彼は背負っています。
だからこそ独り暮らしでしっかり働いているさやかに憧れを持っていたのでしょう。
そんなさやかの自慢の男になりたいからこそ半人前の証として彼は苗字を隠していたのです。
幸せを永遠にするために
二つ目に半年間で味わったさやかとの幸せを樹は一時的なものにしたくないと語っていました。
確かにさやかと付き合っていた半年間は幸せだったでしょうが、あくまでも居候という形です。
しかもさやかは正社員で樹はアルバイトと要するにさやかのヒモといってもおかしくありません。
これではいずれさやかに負担がかかって関係性が破綻しかねず幸せを維持できないと睨んだのです。
幾ら愛し合っていてもそれを育んでいく経済力・自活力がない者にその資格はありません。
自助努力こそ一番に必要なものだと知っているからこそ彼は名前しか教えなかったのではないでしょうか。
“私”へと辿り着くため
これらを総合すると、樹は肩書きではなくあくまでも「日下部樹」という個人を見て欲しかったのです。
即ち植物図鑑の道を選びそこで生計を立てることで立派な人物として名乗り出たかったのでしょう。
それは即ち樹の中で「私=自分らしさ」を目指してそこへ辿り着く旅でもありました。
その結果彼は見事に家元からの独立・自立を果たしてさやかとの幸せを手に出来たのです。
これこそ正に最初に書いた”私”を辿る物語の意味であり、ラストシーンは見事その集大成となりました。
“私”から”私たち”へ
そしてラストシーンで二人が結ばれたことはもう一つ、“私”から”私たち”へという意味があります。
樹の成長物語というだけではなく、半年間別れていたことが同時にさやかの心をも強くしたのです。
バイト先の仲の良い女性に嫉妬もしたし、逆に上司からの告白もあると様々な受難がありました。
それら全てを超えていくことでさやかも自分の気持ちと向き合えたのではないでしょうか。
幸せのまま突っ切るのではなく一度別れて相手のことを冷静に客観視する時間を置いてみる経験。
その経験をしたことで樹とさやかは見事なまでに”私たち”の関係性へと昇華することが出来ました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は単なる偶然の恋からの愛ではなく、それを通して樹とさやかが自分と向き合う物語でした。
その過程において二人は幸せとは決して”探す”ものではなく二人で”作る”ものだと気付きます。
そしてその幸せを維持していく為には何よりもまず個人の自立が必要なのです。
愛し合っているから幸せなのではなく、私が自立した上にこそ私たちの幸せが成り立ちます。
そのような根源的な”私”を辿り”私たち”に繋ぐ恋愛物語として輝きを放ち続けるでしょう。