その身体能力の高いアクション演技が認められ『TOKYO TRIBE』(2014年)のヒロインで映画デビューをしました。
この実績があったことで押井監督は清野菜名を起用し、アニメキャラクターのような可憐さを持ち合わせた激しいアクションが実現したのです。
押井守監督が描きたかったこと
打たれても死なない矛盾
押井守監督は本来、血が流れるシーンは好きではない監督です。「東京無国籍少女」の激しい殺戮アクションや暴力シーンなどは初挑戦なのです。
それは代表作である「パトレーバー」に携わっていて、特に実写版を制作したあとに納得の上での矛盾にストレスが溜まったと言います。
それはあれだけ打ち合いをしているにも関わらず、「血も流れない死者が出ない」という矛盾です。
センセーショナルなシーンを撮りたいわけではなく、あえて避けていた表現を自分なりに作るタイミングが来たとインタビューで応えています。
自分は何者なのか
本作品は「自分の所在が今ひとつわからない」時代に自分は何者なのか、本来いる場所はどこなのかを模索し続ける姿を表現していると語ります。
実感の乏しい現代人だからこそ「消極的で空疎な平和」に、慣れ過ぎていることに危機感を感じていると言います。
本作品の中で描かれている群発地震は大地震を、国際情勢をみていれば突然襲撃してくる武装集団や戦争勃発も起こりうると予想させます。
それを頭では理解し不安はあるけどリアリティに欠けている状況と、突然訪れた震災、戦災の現実をこの作品で表現したのです。
魂が“無国籍”化しているということ
この映画はアニメの巨匠押井守ならではの抽象的な表現とセリフが少なく音楽や音響で演出するなど解釈に戸惑う作品といえます。
ただし、監督の話しと照らし合わせた時にかつて日本が経験した戦争の悲劇や自然災害による被災経験を忘れがちではないかということです。
アニメやゲームの中で起きていることと同じような感覚になりつつある現代人に「目を覚ませ!」と、訴えているように思えた作品でした。