このシーンでまずは二人の力学関係がすっかり逆転したことを示しています。
料理に性別は関係ない
二つ目にマチルダの変化は料理に性別など関係ないことを示しているのではないでしょうか。
勿論マチルダだけではなくモチの家に集まる女性達も、そして男性ながら料理が出来るタナベもそうです。
元夫だけがそれを分からず見下していたから、最終的にマチルダからの反逆に遭っています。
料理に限らず仕事だっていわゆる性関係を除けば男性・女性の区分などありそうで全くないのです。
そうした職業選択と性別の壁という幻想すら軽々と超えた所にいるということが分かります。
意外と女々しい男達
そしてマチルダの自立で起こった最大の変化はラストで「戻ってきてくれ」と泣く元夫です。
前半の傲慢な態度からは考えられない逆転ぶりで、男達三人の飲み会もどこか哀愁が漂っていました。
そう、男という生き物は意外とこういう時に女々しく情けない生き物であることが示されています。
恐らくはツヤコから損切りされた元夫のトキヲもいずれこのように後悔する時が来るでしょう。
直接的ではなく間接的な形で男達への復讐をしっかり描いており、このカタルシスが感動を呼びます。
同時にそれは女性を蔑ろにしてきた男性達への報いというものでしょう。
安売りしてはならない
殆ど食が中心でしたが、本作で伝えたかったのは食も性も安売りしてはならないということでしょう。
本作に共感出来る人が少ない理由にモチの家に来る女たちの恋愛観が杜撰だとの指摘が見受けられます。
しかしそれは意図的に狙ったことで、モチの家に来る女性達は自分を安売りしていた人達です。
「手軽な挽き肉女」という自虐ネタがそうであるように、本作の女性達はセルフイメージが低い人達でした。
だからこそダメな男達に捕まってしまいずるずると関係性を引きずってしまうのです。
そこからの解放を目指し食も性も大事に出来る自立した女性を目指したのではないでしょうか。
どちらも人間の根源的欲求であるからこそ、一番大事に考えていかないとならない永遠の課題です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は良くも悪くも男に媚びない女たちの作品なので、見ていて女尊男卑の姿勢を感じるかもしれません。
しかしそれは表面上だけで、本質にあるのは食を通じて自己肯定感を上げていくヒューマンドラマです。
だから女性に限らず男性であってもこのような悩みを抱えている人は居るのではないでしょうか。
ビジネスに喩えるなら、モチの家のトン子は一流ビジネスメンターとも置き換えられます。
そういう人の元に集まって自立した女たちはメンターに鍛えられたお弟子さん達でありましょう。
どんな人でも自分の幸せを求めて自分に根拠を置いて生きる権利はあり、環境と意志さえあれば出来るのです。
そのことを女性達の食とセックスを通じて描き出した解放運動の一作であることは間違いありません。