一度壊れた家庭がその壊れたものを直そうとする努力もしないで一緒になることは出来ないでしょう。
ましてそれが金が絡むのであれば尚更のことで、正に金の切れ目が縁の切れ目だと示しています。
一見心温まる一家団欒のように見せておいて、本質はどこまでも冷たく寂しく渇ききった現実です。
それを受け入れる為にこのシーンは描かれたのではないでしょうか。
フォアボールを狙う理由
物語の中盤には真悟の草野球が描かれていますが、彼はホームランではなくフォアボールを狙います。
物凄く狡い手ではありますが、果たして何の理由でそんなことをするのでしょうか?
大人の現実を見た悲しき子供
まずこのシーンで示されているのは真悟が大人の現実を見た悲しき子供であるということです。
小説家を夢見ながらも失敗して自己破産寸前の生活を送る父にそんな父を見切らないといけなかった母。
まず自分の両親からして情けなく、更に年収はあってもいまいち馴染めてない母の新しい恋人までいます。
このように叶わないことばかりを夢見てはそれに失敗し、なりたくない大人に一家全員がなっているのです。
大人の現実を見て生きたからこそ、真悟はホームランじゃなくフォアボールで地道に行く選択をしました。
上記した台風のシーンでも将来の夢が安定していて無難な公務員というのも非常に真悟らしいでしょうか。
体格に恵まれていないから
二つ目に真悟の体格がお世辞にもホームランを打てる程恵まれていないからです。
こればかりはどうしようもなく、体の大きい小さいは子供にも大人にも生き方として大きな影響を与えます。
現実のプロ野球でも全員がゴジラ松井や清原などのようなホームランバッターばかりではありません。
イチローなどのように体格に恵まれなかったことを逆手に取ってヒットで稼ぐ選手もいるのです。
そのようなあり方を小さい頃から模索して確立しようとするということはままあります。
具体的に描かれていませんが、監督からもそのように指示されているのではないでしょうか。
あの華奢な体格では余程打ち方を工夫しない限りホームランは打てないことが役者の体格で納得出来ます。
良多の生き写し
そんな真悟のフォアボールは実は現在の良多の生き写しではないでしょうか。
良多はギャンブルや宝くじなどのようなセコいやり方で不当に金を儲けようとします。
そのくせ自分でしっかり汗水流して働こうとはせず詐欺紛いの悪徳商法で生きているのです。
漫画の原作を打診された時も折角のビジネスチャンスをちっぽけなプライドで台無しにしています。
そう、大きな夢へのチャンスを願いながらも目の前の美味しいチャンスを逃してしまうのです。
そんな彼の生き様が真悟のセコいフォアボールになって現われたのではないでしょうか。
子供は親の背中を見て育つ、ということが悪い例として出てしまっているからこうなったのです。
サインを頼まれた良多の心情
本作のラストシーンでは良多が質屋の店主に硯の墨を用いてサインを頼まれました。
ここで彼は自分の父がこの質屋に来ていたことを知るのですが、何を感じたのでしょうか?