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映画『花芯』はかの瀬戸内寂聴が「子宮作家」と揶揄されるきっかけとなった小説が原作です。
安藤尋監督により2015年に映画化され、主演には村川絵梨と林遣都を据えています。
更に脇には安藤政信や毬谷友子と主演の二人に当たり負けしない充実した戦力です。
物語は越智と園子、そして園子の許嫁・雨宮と蓉子を中心に展開される不倫恋愛となっています。
本稿では最後に園子が思った「子宮だけ焼け残る」の意味をネタバレ込みで考察していきましょう。
また、園子と越智との関係や妹との結婚を頼んだ真意、更に雨宮が園子の首を絞めた理由も読み解きます。
性愛と恋愛
本作でテーマとされていることは「性愛」と「恋愛」が実は同じものではないということです。
越智と主人公の園子の関係・園子と美大生との関係・越智と北林の関係といずれもがそこに「性」が絡んでいます。
しかし、恋愛感情を抱くということと肉体関係を持つことで得られる快楽とは基本的に結びつきません。
そのことが本作の作風に暗い影を落とし、また同時に浮気や不倫を解き明かす鍵ともなるのです。
昭和時代から既にそうした「性」を巡る男女関係の本質を描いていた瀬戸内寂聴は慧眼であります。
性に関して幾分オープンになってきた現代こそ改めてその本質を問う意味がここにあるのではないでしょうか。
「子宮だけ焼け残る」の意味
園子は母の葬儀に出席し、妹の幸せを願った後「子宮だけ焼け残る」と物騒なことを口にします。
果たしてこの言葉にはどのような意味が込められているのでしょうか?
まともな女性には戻れない
まず一つ目に園子自身が性の酸いも甘いもかみ分けたことでまともな女性には戻れないということです。
元々冒頭からして越智との関係を望みながらも仕方なく雨宮との結婚を受けた時点でまともではありません。
だからこそ彼女は夫のみならず越智や美大生との快楽を味わってしまい抜け出せなくなりました。
こんな狂気の変態女を清純派の村川絵梨が演じたということもこのシーンに衝撃を走らせました。
越智との関係性を望んでしまった時点で園子は悪い意味で一線を超えてしまった人なのです。
性依存症
凄く格好つけたような台詞回しですが、要するにこれは単なる性依存症です。
麻薬中毒と同じで一度子宮で味わった快楽が忘れられずにその後も貪り続けます。
その為に園子は夫の雨宮・妹の蓉子・美大生の青年・不倫相手の越智と多くの人を傷つけました。
だからこれは「愛」でも「恋」でも「性愛」でも何でも無い、ただの自傷行為でしかありません。
女の魔力である性の快楽を悪用してしまった園子の生き様の醜さを表わしているのです。
自己批判
メタ的な解釈をすれば、この台詞は原作者・瀬戸内寂聴の園子を借りた自己批判ではないでしょうか。
本作が瀬戸内寂聴自身の出家前の半生を描いた私小説であるのは有名な話です。