この神戸旅行の最中でさえ日下部がエリカを奪おうとしますし、恭也は神谷の女遊びに付き合わされています。
そんな悶々とした不安定な状態から抜け出し本当のカップルにする為の誓いをしに走ったのです。
スタートライン
2つ目に「走り出す」という演出からも分かるように、この結末こそ新たな物語のスタートラインなのです。
恭也とエリカの関係性は決してここがゴールではなく、寧ろこれから始まることを意味します。
冒頭でも書いたように、恭也とエリカは偽のカップルを演じる中で本来の自分へ回帰していくのです。
嘘つきのオオカミ少女だったエリカは見栄っ張りから等身大の芯が強く純粋な女性へ変わっていきました。
一方の恭也も表面上こそ不器用ながらも根っこは優しくて情に厚い男前へと戻っていったのです。
そうして本物の関係性に戻った2人の物語はここからスタートし、成長していくのだと受け手に予感させます。
原作で描かれたその後
原作漫画ではこの結末から9年後に結婚し、結奈という一人娘を授かっています。
紆余曲折を経て真剣に自分と向き合ったからこそ納得出来る結末ではないでしょうか。
またこの2人だけではなく三田や神谷、日下部などのその後も触れられています。
つまりこの映画は原作未見の方を原作に引き込む宣伝の役目も果たしているといえるでしょう。
そうしたメタ要素も含めてこれ以上無い最高の締めくくりでした。
嘘という名の自己暗示
嘘から始まった恋が最後には真実になりましたが、この嘘は「自己暗示」であるといえます。
偽物だったはずの関係性がどんどん内面の変化を引き起こして本物になっていくのです。
一種の引き寄せの法則ですが、大事なポイントはエリカと恭也が心底からそれを願っていたこと。
2人とも潜在意識で結ばれることを望んでいたからこそその自己暗示が現実になったのです。
本作が単なる王道のラブストーリーに終始していないのは正にそこをしっかり描いたからでした。
自らを変えること
最後に、本作の恋愛描写や人間関係にはもう一1つ大事なメッセージが隠されています。
それは「現実を変えたいのなら他者を変えるのではなく自らを変えなさい」というメッセージです。
エリカも恭也も偽りの恋を本物に変えられたのは自分の潜在意識と向き合い自分を変えたからでした。
逆に恭也の気持ちを変えようとした神谷やエリカの気持ちを変えようとした日下部は失敗したのです。
人は人に動かされて自分があるのではなく自分の潜在意識で真に望むものを選んでいるに過ぎません。
これは恋愛に限らず全ての人間関係や物事に共通する普遍の真理ではないでしょうか。
その真理に非常に忠実に描かれていたことが本作を傑作映画たらしめた所以ではないでしょうか。
恭也やエリカのような真っ直ぐで素直な気持ちをどんな時も忘れずに持っていたいものです。