その台詞の真意は果たして何でしょうか?
意識高い系
自称”意識高いB専”発言もそうですが、久世は巷でいう意識高い系ではないでしょうか。
意識高い系の特徴は色々ありますが、彼の場合特に強いのは“他者への見下し”です。
それが現われたのが特に大野拓朗演じる武内と親しげにしている時の対応でした。
ここで彼は武内が香澄に好意があると思い込み、必死で口説きにかかります。
その裏にあるのは「俺は武内よりも上なんだ」という見下しの心ではないでしょうか。
速水もこみちの演技力に誤魔化されそうですが、無意識の嫌らしさが垣間見えます。
自己顕示欲
2つ目に久世の行動・言動には自己顕示欲があると思われ、特に香澄の平手打ちへの対応でそれが見られます。
彼は香澄があずみを平手打ちにした所であずみへの謝罪を要求しましたが、これは変な話です。
確かに平手打ちという暴力行為に及んだのは問題でしたが、そもそもの原因はあずみの勤務態度にあります。
あずみがお客様相手に杜撰な対応をしなければ、香澄もここまでのことをしなくて済んだのです。
それを話も事情も聞かないまま一方的に香澄が悪いかの如く持っていくのは上司として問題でしょう。
このことから久世は上司として有能というより、偉ぶりたい自己顕示欲が窺えます。
“B専好き”依存
そうした久世のブス連呼に代表される意識高い系な発言の真意は“B専好き”依存ではないでしょうか。
即ち久世は本当は内面が弱く、その弱さを”B専好き”に依存して隠そうとしていると推測されます。
つまり彼は香澄が本当に好きなのではなく、ブスが好きな自分が好きなのです。
そのことは香澄のことを「可愛い」と素直に褒め、前向きにプロポーズした武内と対照的です。
だから本当は久世こそ見た目はイケメンでも中身はドブスな人なのかも知れません。
絶世のブスという思い込み
香澄は久世と武内という2人の男にプロポーズされながら、どちらとも結ばれませんでした。
その理由は彼女が自身のことを勝手に“絶世のブス”などと定義してしまっているからです。
白馬の王子様に会える訳がないと彼女は潜在意識を閉ざしてしまっています。
自身を卑下しなければもっと輝く人生になるのに、勝手な思い込みで機会を損失しているのです。
その思い込みがどれだけ香澄の人生を狭く窮屈なものにしているかがよく描かれていました。
人間は言葉で決まる
こうして見ると、本作が示したメッセージは「人間は言葉で決まる」ではないでしょうか。
「バカという人がバカ」という言葉がありますが、自分が放った言葉は必ず自分に返ってきます。
美しい言葉を使えば美しい人になるし、汚い言葉を使えば汚い人になるように出来ているのです。
正に“言霊”の働きであり、ブスという言葉を使い続けた久世は香澄にとってブスな人に映ります。
逆に素朴でも「可愛い」という言葉を使って久世を褒めた武内は間違いなく可愛い人でしょう。