薫も淳一と百合香の関係を確信していたわけではなく、千太郎が見たことで「やっぱり」と思ったことが声に出ただけだったのでしょう。
未熟な二人
荒む気持ちのはけ口を暴力に逃げ薫を誤解してしまう千太郎も、そんな荒ぶる千太郎に戸惑う薫もまだ未熟な高校生だからなのです。
千太郎が文化祭で他のバンドからの誘いを受けたのは、同じ寂しさを共有していた薫が自分を裏切ったという悔しさが強かったからでした。
千太郎はなぜロザリオを置いて消えたのか?
生まれてきた理由を自問自答
千太郎は外国人とのハーフで捨て子であることや、養父母と兄妹の中での存在意義にずっと縛られて生きていました。
泣くこともせずに強がり粋がって心の弱さを隠してきた千太郎は、薫と出会い音楽を通じて気持ちを通じ合わせるまでは孤独だったのです。
自分がずっとあの家におってよかやろかと、時々考えてしまうと…
これば(ロザリオ)手放したら、おいが手放される気がしとった…
引用:坂道のアポロン/配給:東宝
つまり、それまでの荒くれ者の千太郎にとってロザリオと教会の存在は、唯一自分を受け入れてくれる存在であり心のよりどころでありました。
ロザリオを首から下げていた意味
“ロザリオ”は本来、数珠のように手で操って聖母マリアへの祈りの数を数えるためのものです。
聖母に深く帰依しロザリオを普及させたアラン・ド・ラ・ロッシュが、異端者の首にロザリオをかけてあげていたと言われています。
千太郎もそれに倣い「特別な人」という意味で、ロザリオを首にかけるのを許されたのだと考えられるでしょう。
千太郎の一人立ちの証
千太郎は事故で律子にケガをさせたことで再び自己嫌悪に陥りますが、薫の友情に救われ律子の優しさに触れて心が動きます。
「もういい!泣いていいんだ、千!」
「こまかころの夢ば見たとよ…。千太郎が教会の椅子に座とって、窓の外が真っ暗なのに帰ろうともせんで…」
引用:坂道のアポロン/配給:東宝
実は教会や友情を失うことに怯えていた千太郎は、弱かった気持ちを断ち切る意味でロザリオを外しドアノブに掛けて姿を消したのです。
つまりずっと教会や親友に助けられていたことに気がつき、自分の生きる道を探すために教会を出ることを決めた意味で残したのでしょう。
ラストシーンのセッションに込めた想いとは?
それからの10年間
薫もまた叔母の言いなりや家系のプレッシャーからではなく、自分の意志と考えで医師になることを決意し医師を目指します。
佐世保での高校生活は“忌々しい”坂道を上ることからの出発で、千太郎がいなくなってからの10年は次の坂を一人で上って行く始まりでした。
どこかで会えるとは思っていたよ。友情は一生ものだからね。
引用:坂道のアポロン/配給:東宝
薫にはジャズセッションを通じて薫と千太郎が何度も絆を強め、ピンチを乗り越えた自信があります。ですから薫からこの言葉がでたのです。
そして、千太郎、律子と撮った写真が薫をいつでも高校時代に結んだ絆を思い出させていたからです。
薫のマイ・フェイヴァリット・シングス
音楽を通じて出会った二人は言葉を交わさなくても、音楽を交わせばお互いの気持ちは通じ10年の時も戻せます。
そして、10年前に果たせなかったクリスマスセッションは、薫の忘れてきた“マイ・フェイヴァリット・シングス”をみつけさせたのです。
この千太郎との再会のセッションには、二人のかけがえのない“真の友情”と“変わらぬ友情”の想いが込められていました。