性欲処理までコントロールされ、飲食は排泄物を浄化したものというのは傍目に見ると狂っています。
しかしそれは受け手である現代社会の倫理観という物差しで見ているからではないでしょうか。
私たちにとっては異様に見える光景であっても、宇宙船にいる囚人達にはそれが普通なのです。
人間の倫理観とは常に社会が法律や環境などで一方的に決めて作っているに過ぎません。
タブーも所詮相対的なもの
倫理観が社会の中で決まるものであるなら、タブーも所詮相対的なものでしかありません。
例えば日本では大麻を所持・吸引すると捕まりますが欧米の一部の国では合法化されています。
また前述した近親相姦についてもそれを認めている国はあり、日本でも罰する法律はありません。
そう、世界でタブーとされていることの大半は実はそうではないことが現実でもよくあるのです。
故に実はモンテが頭の中でタブーを犯すまいと考えているのもただの幻想ではないでしょうか。
そういう意味では本作で誰1人タブーをタブーとして罰する権限はないのかもしれませんね。
ズレた世界でズレたまま生きていく
そんな間違った倫理観の下で生きていくモンテ達の姿は不快であると同時に滑稽でもあります。
誰もがズレた世界の価値基準を正しいと思い込み、そのズレを修正しないまま生きていくのです。
そうなると本来の自分とは違うのに、それがあたかも本来の自分かのように受け入れてしまいます。
本作が初期設定からして特殊な世界観の特殊なお話として描いたのもそれが理由かも知れません。
そして行き着いた結果父と娘のみが新しいハイライフ(上流社会)へ向かうという落ちでしょう。
当たり前ではなくなる時代へ
本作が2019年という年に日本で公開されたことには大きな意味があるのではないでしょうか。
現代社会は様々な紛争・民族衝突・性の問題・経済格差などの問題を孕んだまま生きています。
表向きは平和と秩序が保たれているようで、その実争いを決して止めたりしないのです。
それは即ち人間の生きている現実世界そのものが実は普通ではないことの暗喩でありましょう。
そんな世界の中で何が倫理的に正しく何がタブーかも分からなくなるのです。
そういう時代が既に到来していることをSF映画の姿を借りて表現したのが本作だと推測されます。
SF映画とは何か?
いかがでしたでしょうか?
本作は様々なSF映画のアンソロジーであると同時に「SF映画とは何か?」を考える物語でした。
スペースオペラの世界観を用いつつ、その中で現実世界のあやふやさを描いてきたのです。
『2001年宇宙の旅』しかり『惑星ソラリス』しかりSFを通して受け手の価値観を揺さぶってきました。
本作はそれを2018年の視点で組み立て直すことでSF映画本来の意義を明らかにしたのです。
故に単なる過去の名作の寄せ集めに終わらず新鮮な感動を呼ぶに至ったのではないでしょうか。
モンテとウィローの2人が辿り着いた先にある未知の世界は正に来るべき未来を示しています。