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2017年に公開された映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』。
山崎貴監督と堺雅人・高畑充希をはじめとした、個性豊かなキャスト陣のコミカルな演技が高く評価されています。
また、こちらの映画は民俗学的な要素を含むことからか、作中には謎の多いシーン・人物がたくさん存在しているのです。
ここでは、本作に登場する「貧乏神」をはじめ、謎の多い人物やシーンについて考察していきます。
貧乏神が茶碗を贈った真意とは?
作中において一色家に憑りつき、家の屋根裏から夫婦の様子をのぞいていた人物こそ貧乏神です。
心優しい亜紀子をはじめ、一色家の人物との短い共同生活をした貧乏神は、亜紀子に茶碗をプレゼントしていました。
一見ごく普通の茶碗に見えますが、実はこの「茶碗」にはさまざまな意味や思惑が隠されているとされているのです。
ここでは、貧乏神が贈った茶碗についての考察をまとめていきます。
亜紀子の優しさに対する礼
一色家に憑りつくまでの804年間、貧乏神は自身の力が原因で、人間から邪険に扱われてきたことが語られています。
たとえ貧乏神であっても、本来であれば崇め奉られるはずの「神」の一柱です。
しかし実際、一色家に憑りついた直後の貧乏神は、人間に対してそっけない態度を取っていました。
また、憑りついた家が衰退していく姿を楽しんでいる貧乏神の様子は、まるでいたずらをする魔物のようです。
これは「住みついた家は必ず貧乏になる」という力を持つことから、嫌われ続けてきた過去が原因といえるでしょう。
しかし、粗暴だった話し方は、一色家を離れる時には神様を思わせる優しく穏やかな雰囲気に変わりました。
さらに、「悪い人間をこらしめるために自身の力を使う」という考え方に変わっています。
つまり、貧乏神は一色夫婦との生活を通して、人間の情と神としての役割を思い出したのだと考えられます。
人間の優しさと自身の役割を思い出させてくれた亜紀子への、感謝の気持ちが茶碗として贈られたのでしょう。
神の加護
終盤において、正和と亜紀子の前に現れた茶碗を見た天頭鬼が「神々の道具をなぜ人間が持っている」と話しています。
ここから、貧乏神が贈った茶碗がただの茶碗ではなく、本来人間が持つようなものではないことがわかるでしょう。
そして茶碗は、凶悪な天頭鬼を強大なパワーで圧倒するとともに、正和と亜紀子を安全な場所へ送り届けました。
これらを踏まえると、茶碗には貧乏神の神としての力が込められているといえるでしょう。
実際に、井原西鶴の『日本永代蔵』には、亜紀子と貧乏神の関係性と類似したエピソードも存在しています。
貧乏神を祭った男性が、貧乏である以外の不幸がなく、お礼として貧乏神から金持ちにしてもらったという話です。
人間に嫌われる貧乏神もまた、神であることから、加護を与えたり魔物を退くなどの力を持っていると考えられます。
つまり、貧乏神が茶碗を贈ったのは、亜紀子を守るための加護を与えるためであるとも考えられるでしょう。
有名なことわざに「茶碗を箸で叩くと貧乏神が来る」という言葉があります。
貧乏神にとって茶碗は、関係の深いアイテムであるとともに、己の半身ともいえるほどの大切なものといえます。
この世に帰れた理由は?
作中の描写によると、黄泉の国へ旅立った死者は、二度とこの世へ帰ってくることはできないというルールがあります。
例えば、江ノ電から発車する黄泉の国行き電車は、帰りのダイヤが存在しません。
また正和と同様、妻を黄泉の国から連れ戻そうとした正和の父親も、結局はこの世に帰ることができませんでした。
では、なぜ一度黄泉の国に行った正和と亜紀子は、この世へと帰ることができたのでしょう。
作中にて、亜紀子が霊体となってしまった際、死神が亜紀子の魂を黄泉の国へ連れて行くシーンがあります。
その際の「寿命がまだあるのに」死神の言葉から、2人はまだ黄泉の国へ行けない人物ということがわかるでしょう。
また、死神が魂を黄泉の国へ連れて行くかどうかの判断材料として、重要視していたのが、寿命と肉体の有無です。
寿命が残っている亜紀子が、黄泉の国へ行くことなったのは、魔界松茸で魂が抜けやすくなったことが原因といえます。
そして、赤い手の魔物により、魂と肉体を剥がされてしまいました。
その際、魂が抜けた肉体に別の家族の母親の魂が入ったため、亜紀子の魂が入るべき肉体が消滅してしまったのです。
「入るべき肉体を失った亜紀子の魂」というのは、火葬を終えて肉体を失った死者と同じものと判断されたのでしょう。