ゴッホが最期まで絵を通して戦い続けた敵は間違いなく世間一般の価値観や常識になります。
それ自体が本来は国や時代でも変わっていく筈なのに、誰もそのことに理解を示しません。
そういう外野の声がまずゴッホの心を何度も刺し、死へと追いやったのでしょう。
弟テオ
2つ目に考えられるのが最大の理解者であった弟テオです。
彼が世間とゴッホを無理矢理繋げようとしたことがかえって逆効果だったのではないでしょうか。
確かにテオはゴッホが困ったとき真っ先に頼りにしてくれる1人であり、世間と繋ぐ架け橋です。
しかし、問題はテオ自身がゴッホの内面の苦しみ・孤独を正確に理解しきれなかったことにあります。
ゴッホは決して世間と繋がることではなく、自身の絵が後生に残ることを望んでいました。
しかしテオはそうした部分への理解なく世間と繋ごうなどと兄の望みに反することをしたのです。
最大の理解者である筈の者が皮肉にも最も理解者から遠い行動を取って追い詰めたと推測されます。
自分自身
そして3つ目にゴッホが自分で自分を死へ追いやったのではないでしょうか。
勿論最初から自殺願望があったとかサイコパスであったとかそういう次元の低い話ではありません。
余りにも天才で思考も感性も純粋過ぎて、何が良くて何が悪いのか全部見えてしまうのでしょう。
そしてそういう天才タイプは周りがついていけず異質なものとして排除しようとしてしまいます。
そうなると必然的にゴッホは自分で自分を世間から隔絶して孤立せざるを得なくなるのです。
そう、天才はいつの時代も生きにくいとはこういうことを指します。
産みの苦しみ
この解釈から改めて見直される画家ゴッホの作品には常に「産みの苦しみ」が感じられます。
評価されるか分からない不安と戦いつつ価値観を変えさせる物を生み出す苦しみ。
それは決して世間一般の凡人には理解されない程の稀有で贅沢な悩みなのでしょう。
しかし、ゴッホの孤独感は人と人との繋がりが希薄な現代において珍しくありません。
実は表面に出ないだけで誰しもがこの苦しみを抱えているかと思われます。
だからこそ満を持して不安定な現代社会に本作が誕生したのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作に共感出来る人は決して多くはなく天才と呼ばれる一部の人たちかもしれません。
しかし、時代は徐々に組織から個人へと社会そのものが変化しつつあります。
即ちゴッホのような孤独な生き方をする時代が到来しつつあるということです。
だからこそ本作は来たるべき未来へ向けて制作・公開されたのではないでしょうか。
単なる伝記映画に留まらない未来への予感を感じさせる美しい逸品でした。