これは決して映画のフィクションだからと美談にすることなく真正面から現実を描いた証左です。
マクドナウは著しく成長しますが、そこで完璧なヒーローに飛躍する訳ではありません。
19名が死亡していく様をただ眺めることしか出来ず無力に立ち尽くすしかなかったのです。
それをアマンダが励ますことで消防士マクドナウを「人間」としてその命ごと肯定しました。
このシーンがあるからこそ、本作が映画の領域を超えたドキュメンタリーである所以でしょう。
防火テントに入った理由
19人が無残に死んでいったのは火が回る寸前に防火テントに入ったからでした。
この説明だとマクドナウだけ運良く逃げ延びたようですが、決してそうではありません。
ここでは何故隊員達が防火テントに入ったのかを考察していきましょう。
全員を無事に逃がす為
まずマクドナウは決して1人で逃げようとしたのではなく全員を逃そうとしていました。
あくまでも山火事の風向きが急激に変わったから1人で逃げる格好となったのです。
その証拠に最後まで何とかエリック達と連絡を取ろうと必死に動いていました。
しかしそれも虚しい努力で、19人は炎から逃れることが出来ず焼死という形で終わったのです。
それ位山火事の脅威が凄まじかったことを裏付けているのではないでしょうか。
火事の拡散を食い止めるため
2つ目に火事が市街地へと拡大していくのを食い止める役割をマクドナウ達に託す為です。
マクドナウは生き延びる為に抜けたのではなく、街へ被害が及ばないようにしました。
またテントの中に居る隊員達に火から身を守るように呼びかけてすらいます。
即ち、マクドナウは隊員達の命だけではなく街の人たちの命も心配していたのです。
この作戦自体は功を奏し、街の人たちの命は何とか守り通すことが出来ました。
なので、マクドナウのやったことの全てが失敗だったわけではありません。
自分たちを待っている家族のため
そして何よりも19人の隊員達を待ち受ける家族のためではないでしょうか。
エリックとマクドナウのみならず、本作の隊員達にはそれぞれ家族や大事な人達が居ました。
街の人たちの命もそうですが、それ以上に身近な人たちの命が何より大事なのです。
その人達の為にこそ隊員達は命を救い、また自分たちの命も大切にしています。
それでも大自然の脅威の前には無駄な抵抗にしかならず19人の命が蹂躙されていくのです。
ラストの悲痛な家族たちの嘆き・悲しみが被害の深刻さを物語っているといえるでしょう。
ホットショットを目指す理由
結果的に命を落としたとはいえ、隊員達はホットショットの名に恥じぬ雄姿を見せました。
このホットショットの設立には紆余曲折があり、発起人はエリックです。
彼が何故ホットショット設立を目指したのかを考察していきましょう。
働きが成果に結びつかない
まず1つ目にエリック達消防隊の働きが成果に結びつかないことが挙げられます。
エリック達は実績こそ十分ありましたが、資格がない為に前線に出られません。