出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00005FBSB/?tag=cinema-notes-22
映画『ビルマの竪琴』は1956年に公開された竹山道雄の児童向け文学を実写映画化した作品です。
監督は市川崑、キャストは主演の安井昌二や三國連太郎などの実力派が揃っています。
物語は第二次世界大戦中のビルマにおける日本軍を舞台とした2部構成という珍しい構成です。
2部構成の原因はビルマロケの許可が中々下りず、国内撮影を優先したものを第1部にした為でした。
完成度も非常に高く以下の功績を残しています。
1956年 (EN)、ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジョ賞受賞。1957年、アカデミー外国語映画賞にもノミネートされた。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/ビルマの竪琴
本稿ではビルマの日本兵・水島が日本に帰ろうとしない理由を考察していきましょう。
また、隊員たちの説得を拒絶した理由や竪琴で奏でる音楽が意味するものも併せて読み解きます。
敗戦をどう受け止めるのか?
本作のメインテーマは「敗戦をどう受け止めるのか?」にあり、戦争映画としては非常に穏やかです。
しかし、その穏やかさにはどこか晴れない寂しさ・切なさが作品全体を通して張り付いています。
水島上等兵と井上隊長の2人を中心に敗北を静かに受け止め、時代の変化と向き合う日本軍の兵士達。
戦争映画というと激しい爆撃や勝利の栄光、前線で戦う兵士達の苦悩・葛藤が中心となりがちです。
しかし、戦った後に何が残りどう振り返るのかという視点の作品は中々描かれません。
本作は正にその視点から語られ、1人の日本兵が異国の僧侶になる形で表現しています。
竹山道雄の原作を市川崑監督がどのように解釈・再構築したのかを是非考察していきましょう。
水島が日本に帰ろうとしない理由
ビルマに派遣された井上隊長の部隊は敗戦の知らせを受け、帰国することになりました。
しかしそんな中水島だけは帰ることなくビルマの僧侶として帰化し、日本へ帰りません。
何故彼だけがビルマに残ろうとするのか、ここではその理由を考察していきましょう。
戦死した仲間たちの供養
水島が僧侶となってビルマに残ったのは戦死した仲間たちの供養を行うためでした。
彼はビルマに眠る日本兵を埋葬・供養する使命を己に課していたのです。
そのことは水島の飼っているオウムが分かりやすく代弁してくれています。
アア、ヤッパリ、ジブンハカエルワケニハイカナイ(ああ、やっぱり、自分は帰るわけにはいかない)
引用:ビルマの竪琴/配給会社:日活
これこそ、水島自身の腹の底から絞り出た心の叫びだったのではないでしょうか。
決して自国を裏切ったのではなく、自国を愛おしく思うからこそ敢えて残ったのです。
イギリスの兵士達の慈悲深さ
水島が僧侶になることを決意したきっかけはイギリスの兵士達の慈悲深さを見たことでした。
何とイギリスの兵士達は亡き日本兵の為に墓を作って埋葬し、賛美歌を歌っていたのです。
敵だった筈の彼らが国境を越えて善意を働いてくれたことが響いたのではないでしょうか。
そしてまた同時に日本兵達のことを簡単に忘れていいのかという葛藤が起きたのです。
その葛藤が水島を僧侶としてビルマに留まらせる決意を促したと推測されます。
魂のステージが上がった
そして3つ目に水島はルビーを手にし、そのルビーが日本人の魂だと信じたからです。
ルビーは「勝利の石」と呼ばれ、あらゆる困難から身を守るパワーストーンといわれています。
そのパワーストーンを涅槃像の体内へ埋めたことでエネルギー値が変わったのではないでしょうか。