スピリチュアルの話となりますが、後半に向けて水島の魂はどんどん解放されていくようです。
それと同時に悟りを開いたかのように思える表情を見せるようにもなりました。
つまり水島の魂のステージが高まり次へ向かう段階に来たものと推測されます。
隊員たちの説得を拒絶した理由
残ることを決意した水島を井上隊長をはじめ隊員達は何とか引き戻そうと説得にかかります。
しかし、彼は隊員達の説得を拒絶し戻ってくることは決してありませんでした。
ここでは隊員達の説得を拒絶した理由について読み解きます。
自分だけが生き延びた辛さ
まず1つ目に死んでいった兵士達の為に説得に向かい自分だけが生き延びた辛さ故ではないでしょうか。
もう負けると分かっている友軍の戦いを説得しようと試み、自分だけが生き延びて他は死んだのです。
帰りたい心はありながら、同時に自分の責任で仲間たちに犠牲を強いる形となりました。
水島からすれば物凄く複雑な心持ちになったのではないかと思われます。
だからこそ何があっても彼は隊員達の説得を拒絶してでもビルマに残る決意をしたのです。
自己犠牲の虚しさ
2つ目にそうした戦い方で無残に命を失う兵士達を見て自己犠牲の虚しさを学んだのではないでしょうか。
死をも厭わない覚悟は戦いにおいて大事ですが、その為に命が失われることなどあってはいけません。
水島はそうした自己犠牲の虚しさを嫌という程感じたからこそ日本軍へ留まる意味を見出せなくなりました。
思えば水島は仲間たちを大切に思っていったものの、決して組織に服従していたわけではありません。
彼は彼なりに自分の目で見て感じて動くことを大事にしているので都合のいい組織の駒ではないのです。
そのように考えると水島が隊員達の説得を拒むようになるのも自然の流れでしょう。
過去を「繋ぐ」
そして3つ目に水島は過去を「捨てる」為ではなく「繋ぐ」為に隊員達の説得を拒んだのです。
生き残った日本軍は過去を「捨てる」ことで新しく未来を切り開こうとします。
しかし、水島からすればそれは名もなき日本兵達を切り捨て忘れる残酷な行為に他なりません。
生と死は表裏一体、自分たちの生が犠牲となった人たちの死に支えられているのです。
そのことを忘れて、命の有難味を見失ってはいけないと必死に過去を「繋ぐ」道を選びました。
それは誰にでも出来ることではなく、水島だからこそ出来たことでしょう。
どちらが悪いわけではなく、これはもう運命に導かれた必然の別れだったのです。
竪琴で奏でる音楽が意味するもの
タイトルにもあるように本作を象徴するのが竪琴によって紡がれる音楽です。
本作では特に「埴生の宿」「仰げば尊し」が代表曲として奏でられました。
これらの音楽は果たして何を意味するのでしょうか?
『埴生の宿』で繋がる心
まず前半で奏でられた『埴生の宿』は“繋がる心”の象徴として用いられました。