強制収容所で会った「同志」のような書き方ですが、この「神が微笑んだ」というのは「神が復讐のチャンスをくれた」と解釈できます。
つまり、長年の宿敵が人生最後になって自分の隣に現れたので、マックスは復讐心に最後の炎が灯ったのです。
人生最後に、家族の仇が討てた。だからこそ、マックスはゼヴの死を聞いて涙するのです。
ゼヴがオットー・ヴァリッシュと分かっていた
マックスはゼヴがオットー・ヴァリッシュであることが分かっていました。
それは、手紙の内容や最後に映し出されたマックスの部屋の机を見ると分かります。
すぐに分かったオットー・ヴァリッシュの顔
先述した手紙の続きは、このようになっています。
収容所で一緒だったとすぐに分かった。君は私を覚えていなかったがな。
我々は、同じ収監区内の最後の生き残りだ。私以外にあの男の顔が分かるのは君だけだ。
引用:手紙は憶えている/配給会社:エンターテイメント・ワン
マックスは初見でゼヴが「オットー」であることを見抜いていたのです。
一方オットーであるゼヴは、マックスのことを分かっておらず、マックスには十分復讐の計画を練る時間がありました。
そう考えると「私以外にあの男の顔が分かるのは君だけ」の意味が、とても重いものとなります。
「あの男」がゼヴ本人であれば、ゼヴがオットーであることを見抜けるのはマックスのみだということ。
やっと見つけたぞ。そんなマックスの恨みの大きさが分かる一文なのです。だからこそ、復讐を果たせて涙しました。
若かりし頃のゼヴことオットー
映画ラストで涙するマックスの姿を映した次のカットでは、マックスの部屋の机の上が映し出されます。
そこには、古い昔の軍人の写真がありました。そこには「OTTO WALLISCH」とドイツ語で書かれた、オットーの写真がありました。
マックスは、この写真をずっと持っていたからこそ、ゼヴをオットーだと見抜いたのです。
この写真の下には、マックスのこれまでの人生について振り返る手紙がありました。
長年苦しめられたオットーを殺せた。しかも自分の手を汚さずに。だからこそ、マックスは涙するのです。
ピアノ好きだったゼヴ
4人目のコランダー家(本当はクニベルト・シュトルム)で、ゼヴはピアノを弾きました。
これには、もともとゼヴがピアノ好きで、以前からピアノを弾いていたことが理由として挙げられます。
作中ゼヴがピアノを弾くのは、クニベルトの家と、旅先の老人ホームの2回。
そのうち、最初の老人ホームでピアノを習っていたことを語ります。つまり以前から、ピアノは好きだったのです。
まるで人生の一部であるかのように、ピアノについての知識を見せたゼヴ。その知識や楽曲の中に、ゼヴの正体が投影されていました。
ピアノ教師とゼヴの楽曲
作中2回のピアノのシーン。ゼヴが長年の趣味としてきたであろうピアノのシーンは、ゼヴの正体が示唆されていました。
それは、ゼヴのピアノ教師が語る「偉大な3人の作曲家」とゼヴが弾く「楽曲の作曲家」に見て取れます。
偉大な「ユダヤ系」ピアニストたち
1回目のピアノを弾くシーン。ゼヴは女性に、自分の先生であったピアノ教師が教えてくれた「偉大な3人の作曲家」を語ります。
私のピアノ教師が言ってた。偉大なる3人の作曲家は、メンデルスゾーンとマイアベーア、モシュコフスキーと
引用:手紙は憶えている/配給会社:エンターテイメント・ワン
この3人の作曲家は全て、「ユダヤ系」のピアニストという点で共通しているのです。
まだまだ映画冒頭のこのシーンでは、ゼヴはまさに「ユダヤ民族」という自意識がありました。