トビーも撮影現場では絶対的な権力者としてスタッフを振り回しているからです。
アレクセイはトビーとしてもテリー・ギリアム監督としても、実は見たくない自分自身の暗黒面だともいえるのです。
現代社会とドン・キホーテ
この作品ではドン・キホーテという舞台を通じて現在社会に潜む矛盾やある種の狂気に痛烈な風刺をちりばめています。
アレクセイの資本主義的権威への批判や、夢を描いて都市に出て行く若者の挫折を代表するアンジェリカなどがそれです。
実は作品ではこれら以外にも現代社会が抱える社会的問題をさりげなく表現している部分があります。
イスラム不法移民
その一つがイスラム教徒の不法移民問題です。作品の中ではサラッと描かれていますので気づきにくい部分ではあります。
これは明らかに現在ヨーロッパ諸国を悩ませているイスラム難民に関する問題提起です。
難民問題は立場によって何が正義か見解が分かれる難しい問題といえます。
国内紛争の中で国外脱出を余儀なくされた難民の立場に立てば、彼らを受け入れない国々は悪に映ります。
しかし彼ら難民が押し寄せて来て国内に不法に留まることになるヨーロッパの国々にとってみれば大きな迷惑にちがいありません。
単に人道的な観点だけでは雇用を奪われたり社会的なコストを負担されられる自国民を説得することは難しいのです。
ゴミ問題
これも作品の中では気づきにくい部分ですが、現在地球規模で人類を悩ませているゴミ問題もしっかり問題提起されています。
ゴミ問題は地球温暖化問題とともに経済効率化と地球の持続可能性がぶつかり合う難しい問題です。
人類以外の地球の生物や地球外知的生命にとっては、狂った社会システムでもって破滅に向かって突っ走る人類の姿が映っているかも知れません。
【テリー・ギリアムのドン・キホーテ】は現代社会の狂気性を問いかける
この作品は現代社会が抱える様々な矛盾や社会的システムの欠陥を風刺的に見事に描き出しました。
作品を見ていると途中でハビエルのドン・キホーテが狂っているのか、社会の方が狂っているのかわからなくなってしまいます。
意外にもラストシーンではトビーがサンチョ・パンサことアンジェリカを従えてドン・キホーテとして立ち上がるのです。
このシーンはいつの時代にも体制や権力に対して果敢に孤独な戦いを挑むドン・キホーテ的存在が出現する可能性を告げているのかもしれません。
少し悲劇的なラストになりそうな予想を裏切って、心が温かくなる素晴らしいラストシーンです。