ここでは一家が何と戦っているのか?を掘り下げていきしょう。
差別と偏見
まず挙げられるのが前述した婚約者の家族との間で生じた差別と偏見です。
レスリングをはじめ格闘技を行う人は野蛮で下品というイメージが先行しがちとなります。
しかし、実際は逆で本当に強い格闘家・武道家程礼儀が正しく自然体です。
まずそうした世間のレスリングに対する差別と偏見を払拭することにありました。
人種の壁
2つ目にサラヤが感じたのはアメリカとイギリスという人種の壁でした。
イギリス育ちのサラヤはアメリカの女子レスラー達からイギリス英語を馬鹿にされてしまいます。
更に女子プロレスにも関わらず、モデル出身の子も居たりと人間関係で苦労するのです。
そう、リングに上がって戦うこと以上に人間関係での衝突が余りにも多すぎました。
こうした人種の壁がサラヤに1度ホームシックを決意させる引き金となったのです。
ジェンダー
そして3つ目がジェンダー、即ち社会的性という問題とぶつかることになります。
それがWWEで戦うことになったプロレスラーというイメージとは正反対の水着の女性達です。
これは上記してきた社会的な女性らしさが観客の求めるものとして消費されているということ。
即ち女子レスリングに男子レスリングのような激しいロック魂は不要だといわれたも同然でしょう。
そう、舞台に上がっても自分が思い描いた骨肉相食む激しいぶつかり合いの世界ではなかったのです。
これは同時に作り手のプロレス業界の安易さに対する批判的・懐疑的視点の現われだと窺えます。
本質はソーシャルマイノリティ
こうして見ていくと、本作は王道向けではありながら安易なスポ根漫画の物語にはしていません。
本作で描かれている問題の本質はソーシャルマイノリティ(社会的少数派)ではないでしょうか。
サラヤ達一家はリングで戦う以上の敵が現実に存在することを嫌というほど思い知らされます。
それらを打ち破り、乗り越えた先にこそ理想のレスリングは存在していることを示しました。
この問題をレスリングというスポーツ業界の問題に落とし込んだのが本作の白眉でしょう。
それらと戦い乗り越えた先に手にする勝利は同時に社会的劣勢からの解放でもありました。
出会いは運だが後は努力
本作はまたサラヤとザックの生き様を通して、適材適所の大切さを教えてくれています。
ザックはWWEには縁が無かったとはいえ、それはザックは決してダメだということではありません。
どんな人にもその人ならではの輝けるポジションがあり、それを探す旅路が人生なのです。
しかし、出会いには運が大きく絡んできますが、出会った後は本人の努力が鍵となります。
大事なのはその道で成果を出せるまで諦めずに頑張り続けることではないでしょうか。
全員がサラヤやザックのように一流のプロレスラーやレスリングの先生になれるわけではありません。
しかし、彼らのように諦めず道を探し続けていれば、いつか絶対に道は開けてきます。
そんな当たり前ながらも凄く大切なことを教えてくれた傑作として残り続けるでしょう。