まず1番の目論見は理不尽に奪われたものを取り返すことにあったのではないでしょうか。
元々3年分の1位指名権はサニーにあったものであり、それをトムが横取りしたのです。
そうせざるを得なかった理由はサニーがキャラハンを欲しがっていたことにありました。
しかし、キャラハンを損切りしたことでサニーには弱点が完全になくなったのです。
だからこそトムに対して強気に出ての指名権トレードが可能となりました。
ただし欲しいものは与える
しかし、だからといってサニーは決して横から理不尽に奪い取る真似はしません。
きちんとトムの欲しいものであったキャラハンはシーホークスに譲ったのですから。
この辺りラストで奪い返した印象がありますが、ギリギリの所でトムの尊厳を傷つけていません。
邪道なトムのやり口に対してあくまでも正々堂々と真っ向勝負を仕掛けたのです。
正当なやり方で人間性を重視して勝ちに行くというサニーの信念が勝ったのでしょう。
切り札は最後まで取っておく
そして3つ目に、サニーはここぞという時まで切り札を伏せたのではないでしょうか。
トムとサニーの指名権をかけた勝敗の差を分けたのは正にここにありました。
あれこれ策を張り巡らすトムは自身の優位を信じる余りに手札を早めに切りすぎたのです。
また、最後まで自分は優勢でいられるという慢心という名の心の隙がありました。
その点サニーは最後まで油断することなく、耐え忍んでラストで攻めに転じたのです。
結果は見事にサニーの大逆転という形で幕を閉じました。
才能と人間性は不即不離
こうしてみると、ラストは人間性で全てを逆転した話に見えるかも知れません。
しかし決してそうではなく、あくまでもまずは才能や技術・実力があった上での話です。
そこが前提にあった上でラストの決め手として選手の内面・人間性を決め手とします。
本作はその意味で才能と人間性が不即不離のバランスで行かなければならないと示しました。
人間性が良くても才能がなければ選ばれませんし、逆に才能があっても人間性が悪かったら入団後が問題です。
両方がしっかり備わってこそ真のプロ野球選手は生まれることを教えてくれたのではないでしょうか。
全ては”人”で決まる
本作が作品全体として訴えたいことは“人”で全てが決まるということはないでしょうか。
奪おうとするトムの所には結局キャラハンをはじめ奪おうとする人しか集まりません。
しかし人を大事にし人に与えるサニーの元には魅力的な人物が沢山ついてきます。
選手だけではなく経営側だって全ては人と人との関わりの中で決まってくるのです。
奪う人になってしまうのか、それとも与える人になれるのかを本作は問いかけました。