即ちこの樹木を育て上げたジムは自覚こそないけれど新世界の創造主だったのでしょう。
禁を破って90年も早く目覚めてしまったその罪滅ぼしを行うかのように彼は新しい樹木を作ったのです。
お詫び
2つ目にジムには、オーロラを強制的に目覚めさせ人生を狂わせてしまったお詫びの気持ちがありました。
一見殊勝な行為のようでいて、その実かなり突き抜けた極端な行動でもあります。
目覚めさせたお詫びは分かりますが、宇宙船に木の枝を植えるなんて普通はしないでしょう。
しかも無許可で行っているのですから、他の船員達からしたら迷惑この上ないはずです。
しかし、それが英雄的行為のように映ってしまうのがジムの怖い所ではないでしょうか。
描写だけを見ると良い人のようでいて、実に周りの気持ちを顧みない大雑把さがよく出ています。
2人だけの幸せ
そして最後にこの木々はあくまでも自分たちの幸せだけを願って作られたのではないでしょうか。
ジムもオーロラも根本にあるのはエゴイズムであり、自分がどうしたいかでしかありません。
本作は表向きハッピーエンドとしながらも、実は2人の愛を全面的に肯定などしていないのです。
しかしそのエゴが巡り巡って宇宙船と船員達を救い、結果として英雄になったに過ぎません。
2人は自分たちのエゴイズムをとことんまで突き詰めた結果として新世界の創造主となったのです。
たとえその魂が死しても尚世界樹の下に骸を埋めて残り続けるであろうと推測されます。
全てはエゴイズムである
こうして考察を重ねていくと、ジムもオーロラも結局は自分たちのエゴイズムを貫いただけなのです。
そこに善悪の概念や正しい間違いはなく、2人の行動は全て自分たちが望んで行いました。
目覚めさせたことも関係性の破綻も、そして宇宙船を助けて元に戻ったのも木々を育てたのも全部エゴです。
愛し合いずっと一緒に暮らしたことだって自分たちがそれを意図したからそうなったに過ぎません。
外から見れば完全に悪人なジムの行動も、宇宙船という全く異なる環境では相対化されず絶対のものとなります。
極限状態になった時、実は人間の行動が全てエゴイズムでしかないことを暴き出したのが本作でしょう。
全ては結果が決める
いかがでしたでしょうか?
本作が賛否両論だったのはそれだけ本作が考察・解釈の余地がある作品だったということでしょう。
本作の結末はたとえ5000人が助かろうが死のうが大事ではなく、本質はもっと別の所にあります。
それが上記した「人間の行動の全てがエゴイズム」であり、その善し悪しは全て結果が決めるのです。
だからその意味では誰もジムとオーロラの取った選択の結果を正しい間違いで論じることは出来ません。
結果的に残りの人たち並びに宇宙船が救われたから善の行いであるように見えるだけです。
その宇宙空間で起こる人間の感性のズレや違和感を正当化せずそのまま描いたのが本作の面白い所です。
単なる善や悪で割り切れない純粋な2人の行動が違った意味を持つと分かるとき、また別の作品に見えるでしょう。