それは新しい生命の誕生をもってしても死の運命そのものは変わらないということです。
イザベラは元々死のリストには載っていなかった人ですから寧ろ被害者でしょう。
結果的にウィリアムの助言で状況は好転するどころか寧ろ悪化の一途を辿りました。
死の順番が変わるだけ
明らかとなったのはいわゆる繰り上げ・繰り下げ方式で死の順番が変わるということです。
即ち死のリストに載っている人はどんな形であれ死ぬことはもう決まっています。
キンバリーが自己犠牲を選んだ結果トーマスの死は回避されました。
しかし、その代償として無関係だった筈のブライアンが死亡してしまったのです。
即ち、誰かの死が回避されれば、その死を別の者が代行する形であると推測されます。
生まれた数だけ人が死ぬ
ここから導き出せるのは誕生した生命の分の死者が出るということです。
ウィリアムが行った「新しい生命の誕生」の本質はそこにあるのではないでしょうか。
直接描かれていないだけで、恐らく世界中のあちこちで新しい命が登場しています。
しかしその分事故死という形で人減らしを行い数を調整しているのでしょう。
そのようなトレードオフ方式でなければ、生死の運命のバランスは取れないのです。
そう見ていくと、このジェットコースター方式の死のゲームも説明がつきます。
死を恐れる理由
本作を見ていて興味深いのは、「死=悪いこと」というイメージがあることです。
それは何故かというとこの世に未練があるからではないでしょうか。
前作から生き残り本作で死んだクレアにしても1度死んだキンバリーにしてもそうです。
全員この世で何かある使命ややりたいことがあるから生きることに執着しています。
それをいきなり交通事故や災害という形で理不尽に奪われたら確かに怖いでしょう。
しかし、どんな形であれ人間は致死率100%の生き物で決して死は避けられません。
それが遅いか早いかでしかないことをよりダイレクトに受け手に訴えているのです。
意識が運命を引き寄せる
考察を重ねていくと、前作も含め本シリーズの死の原因にはある共通項があります。
それは意識が死という運命を引き寄せているということです。
何故死のゲームに直接的ないし間接的に関わった者が死んでしまうのか?
それは詰まるところ死を回避しようとする余りにかえって意識が死に向かうからでしょう。
キンバリーにしてもトーマスにしても意識がその運命を引き寄せているのです。
死の運命があったとしても意識し過ぎなければ結果は違っていたかも知れません。
ホラーを通して哲学的な生死観・運命論を非常に適切に伝えてくれた名作です。