またケイシーが「子供」でニックス監督が「大人」として描かれている所もポイントです。
前向きに何かを諦めずに頑張れるケイシーは確かに子供じみていて幼稚かも知れません。
だからこそどんな状況になったとしても決して諦めず、突破口を切り拓く力があります。
一方で絶望的な正論を口にするニックス監督は大人ですが、常識に凝り固まったつまらない人間です。
その対比がここで浮き彫りになったことが示されています。
言葉が意識を作る
2つ目にケイシーの語る言葉が意識を作っていることをこの数字が意味しているのです。
何故人類が60日程度で地球共々滅亡するのかというと、それを口にし続けたからでしょう。
発する言葉が意識を作り、そして現実はその意識の集合体へと引き寄せられていきます。
肯定的な言葉を口にすれば事態は好転しますし、逆に否定的な言葉を口にすれば事態は悪化するのです。
ケイシーは常に前向きで強い言葉を語り続けたからこそ意識も凄く高く前向きでいられるのでしょう。
戦後史のメタファー
そして3つ目にこの終盤での構造自体が戦後史の現代社会のメタファーであるということです。
ウォルト・ディズニーの口にした理想はその後虚しく現実にねじ曲げられました。
しかしそれは人間が口にした絶望論やネガティブな言葉を放った結果であり、因果応報でしょう。
絶望的な人類の未来の映像は人類がネガティブなことばかりを創造し続けた結果です。
そうした現代史をニックス監督という負の象徴を用いて幾分皮肉も込めてパロディしています。
そしてラストは最後まで希望を持ち続けたケイシー達の頑張りの前に敗れ去ったのです。
夢を叶えること
本作のラストは地球滅亡の未来を回避し、トゥモローランドに夢見る人々を招待する結末となりました。
この結末に本作ならではの「夢を叶えること」がどういうことなのか?が示されています。
夢を叶えることとは即ち前向きな希望を口にし、その口にした希望に向かって動き続けることです。
そして目の前にどんな障壁や絶望が来ようとも、決して諦めずに想像を創造することではないでしょうか。
結末自体は非常にストレートでシンプルですが、その為の物語構造や設定が非常にしっかりしています。
決してただの楽観論ではなく、現実を見据えた上でもう1度夢に向かうことの尊さを教えてくれました。
夢見る力が全て
いかがでしたでしょうか?
本作は数あるSF映画の中でも非常に分かりやすい寓話的構造をもって作られました。
メッセージは「夢見る力が全て」であり、その夢見る力の象徴がトゥモローランドなのです。
それを叶えるのは他の誰でもない私たち1人1人の努力と前向きな意識にあります。
作品全体を通して、作り手は受け手にケイシー側の人間かニックス側の人間かを聞いているのです。
そしてこれからの時代を生きていく上で大事なのはケイシーのような夢見る力を持った人でしょう。
トゥモローランドは決して遠い彼方にあるのではなく、私たちの努力で作ることの出来る世界です。