しかしながらエルトン・ジョンのステージ衣装はこれらを加味しても異常に派手です。
実はエルトン・ジョンがここまで奇抜な衣装にこだわるのには、どうしようもない彼自身の理由がありました。
派手になっていったエルトン・ジョンの衣装
映画の中ではエルトン・ジョンがミュージシャンとして成功していくにつれて、徐々に衣装が派手になっていくプロセスが丁寧に描かれています。
特にめがねのフレームを注意して見ているとその変化がよくわかるでしょう。
ともすればエルトン・ジョンの衣装が派手になっていくのは、スターとして目立つためと考えられがちですが、実は違います。
そこにはレジーがエルトン・ジョンにならざるを得なかった悲惨な心理状態がありました。
エルトン・ジョンとレジー
既に見たようにレジーは両親に愛されない存在としての自分自身に耐えきれない心理状態にありました。
人はよかれ悪しかれ、親に承認されるような自我を作るようにできています。
本能だけで生きていけない人は親に愛されるような自分自身の物語としての自我を作るのです。
レジーの場合は懸命な努力にもかかわらず、両親に愛されるような自己の物語をつくることを諦めざるを得ませんでした。
このためレジーは自己を否定して、別な人格であるエルトン・ジョンとして生きていくことを選んだのです。
そうです。彼の派手な衣装は仮面だったのです。エルトン・ジョンとしての人格は急ごしらえですから、長年の蓄積がありません。
このため人工的な装いが必要でした。なんとももの悲しく哀れを誘います。
仮面の告白
派手な衣装に身をつつんだエルトン・ジョンとしてのレジーは仮面をかぶっているのですが、自分自身はエルトン・ジョンこそ自分自身だと思いたいのです。
映画は悪魔か天使かわからない衣装のエルトン・ジョンが更生施設で自身の半生を語る場面から始まります。
でもそこで語られる内容はあくまで仮面が告白しているのであって、生身のレジーが告白しているのではありません。
そこには仮面の告白ならではの嘘があります。作りものが作りごとを告白しているのです。
映画と史実は部分的に異なる
この映画はミュージカルです。現実ではない虚構の世界観をミュージカルという形で表現しているのです。
ミュージカルとしてエルトン・ジョンの半生はこうであった方が形になるといった風に描かれている面が否定できません。
このため映画には実際の史実とは異なる部分が何カ所かあります。具体的に見てみましょう。
時系列的なズレ
映画では幾つか時系列的に史実が入れ替わっている部分があるのです。
一つだけ事例をあげれば、エルトン・ジョンと長年の盟友であった作詞家のバーニーが更生施設を訪ねます。
そこで更生に努めるエルトン・ジョンにある歌詞を渡し、これが彼の復活の切っ掛けとなったという演出になっています。
実はこの曲はエルトン・ジョンが更生施設に入る10年近く前にエルトン・ジョンとバーニーのコンビで作られた楽曲で、明らかに時系列が逆転しています。