敢えて周りとは距離を取って生きることもまた人生においては大切なことです。
不即不離の関係
そしてラストでは再会してまたもや行天はあっさり多田の所に戻ってきます。
面白いのは2人の別離と再会が決して劇的なものではなくあくまで日常として描かれていることです。
情がないわけではなく決してドライな関係性ではありません、寧ろお互いを大切に思っています。
しかし、それを安易に言葉や態度で示したりせずあくまで必要な時に協力する仲間です。
だからこそ寂しがるはなく、またかといって冷たくするのでもなく淡々とまた便利屋に戻ります。
必要以上に言葉を交わさずともお互いを理解している正に「相棒」の関係ではないでしょうか。
チワワを預かる意味
前半のシーンでは多田がチワワを預かり、里親を探すシーンがあります。
本来であれば彼がチワワを預かる必要はないのですが、何の意味があるのでしょうか?
ここでは多田とチワワに注目して考察していきます。
多田の内面
まず1つ目の意味はチワワが多田自身を表わしているということではないでしょうか。
多田は元妻に浮気された挙句、その浮気で生まれた子供すら失ってしまいました。
それは里親に捨てられて分離不安症に陥っているチワワと同じだったのです。
多田は人から愛されいじられながら育ってきたので、人のぬくもりを常に欲していました。
だからこそ多くの人と関わりたくて、繋がりたくて常に便利屋を営業しているのです。
表の格好良さ・明るさとは正反対に中身はチワワのように小心者、それが多田の人間性でしょう。
行天との出会い
そしてもう1つ、行天がチワワを拾って持ってきたことにも注目です。
そう、まるでチワワが多田と行天の再会を作った架け橋にも見える演出になっています。
もしチワワが多田と行天に出会っていなかったら2人が相棒になることはなかったでしょう。
犬は非常に社交的で群れを成す生き物といわれますが、正にその社交性が遺憾なく発揮されました。
必死に里親の元に帰ろうとするチワワの行動が運を呼び寄せたといえる瞬間を描いています。
結末への伏線
そして3つ目にこれ自体が結末への伏線となっているのではないでしょうか。
チワワは最終的に水商売を行っているハイシーとルルに引き取られることになりました。
これはそのまま多田と行天が相棒としてやっていく結末を示しているといえます。
多田の便利屋稼業は彼1人だけでは決して果たすことが出来ないものが多いのです。
人当たりはよく直感で動くけれど、案外相手の気持ちを汲んだり気を回したりは出来ません。
だからこそ多田は行天という飼い主兼相棒が必要だったのではないでしょうか。
行天が山下を心配した理由
行天は中盤でハイシーをストーキングしていた山下に忠告したことで逆上させ、刺されました。
ここから暴力映画になってもおかしくないのに、行天は何故か山下を心配すらしています。
果たして逆恨みしてもおかしくない相手を何故心配するのでしょうか?
かつての自分と重ねている
1つ目の理由として行天は山下をかつての自分と重ねているからではないでしょうか。
山下は母と上手く行かず、星という親分とも中々上手く行かないのです。